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徐瀅:人物を演じる時、享楽だ

2009-04-13 09:43:42     cri    

 徐瀅の祖先は「四大徽班が上京」の時期に、徽班と共に北京へ来ており、家族は皆京劇に関する仕事をしています。曽祖父は梅蘭芳の胡弓弾きで、徐瀅ではすでに六代目ということです。祖父が若い頃、梅蘭芳京劇団の俳優で「武生」(立ち回りの男性役)の役柄だったので、もともと徐瀅が選ばれた役柄は「武生」でした。父親も京劇を勉強したがりましたが、あまり厳しすぎるため、許されませんでした。実は最初、徐瀅が京劇の世界に入ることも祖父に禁止されていました。徐瀅の性格は男っぽくて、とても明るいです。顔が丸く背が低いため、徐瀅はまるで子供に見え、特に笑うとき、なんと無邪気な子だろうとよく言われます。しかし、この弱く見える小さい体の中に不思議な力があるように感じられています。子供の頃は落ち着かない子だったそうで、どこにいても活発すぎるので、アマチュアの子供向けの京劇クラスに行かせられました。

 「確かに、『アマチュアなら大丈夫ですが、プロの俳優になってはいけない』とおじいさんが言いましたよね?」

 「おじいさんはあくまでも反対しましたが、私がおばさんの京劇クラスに入ってから間もなく、おじいさんは病気で亡くなりました。家族には、ほかの反対する人がいなかったし、プロ向けの授業を受けました」

 「最初に選ばれた役柄は『武生』でしたでしょう、女の子なのに、どうして男の役柄を選ばれたんですか?そして、下稽古をする時、より厳しかったでしょう」

 「私のおじいさんの役柄は『武生』であったので、また父は私を『李少春』(昔有名な武生と老生)のような文武両道に優れる『武生』に育成したがっていたためでした。そうですね、ほかの人から見ればとても厳しい訓練だと思われるかもしれませんが、私にとっては、ちょうど使いきれない力をすべてここで使えるということです。そして、私の『開蒙導師』(手ほどきをする先生)と出会いました。

 馬又年先生は私のおじいさんの弟子でした。若い頃、おじいさんの芸道の秘伝を授けられましたが、1度の舞台でミスを犯し、腰に重傷を負ったため、足が不自由になって、2度と舞台にのぼることができなくなりました」

 「足が不自由な方ですか?それならどうやって授業を進めましたか?」

 「先生はとても真面目な人であり、床に横たわってしぐさの模範を示してくれました。それは小学校の頃、毎日が放課後に先生の所で京劇の稽古をしてから、家に戻って宿題をする。ですから、先生の所に行く前に、学校で一生懸命に宿題を終わらせようとしていました」

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