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譚暁令:一番大切なこと、それは自信

2009-02-17 09:58:37     cri    

 譚暁令は、さきに紹介した譚正岩と同じく、梨園の名門・譚家の1人ですが、女性として生まれた譚暁令は譚派老生を継承することができず、役柄は「老旦」(年上の女)を選びました。昔は京劇役者で、女性の役者(坤角児)は少なく、しかもその地位は男性の役者よりも低かったのですが、現在ではそういうことがなくなり、男性と同じように舞台で活躍しています。しかし、譚暁令は普通の役者と違い、譚家の1人であるだけに、いつでもどこでも注目されていて、そのプレッシャーは言うまでもないことでしょう。

  

 昨年末に行われた第6回青年京劇役者大会で、譚暁令は賞を獲得したものの、それは優勝ではありませんでした。私はその日、大会会場となったテレビ局でその様子を見ていました。大会に向けて稽古を重ねてきただけに、それほど高くない点が出た時、彼女の顔に落胆の色がはっきりと見て取れました。大会が終わった後、譚暁令にインタビューをする私は、不安を感じていました。私が大会のことについて質問したら、彼女は答えるどころか、席を立ってしまうのではないか……。私は約束の喫茶店でコーヒーを飲みながら譚暁令を待っていましたが、重い気分になっていました。そこへ黒ずくめの格好の譚暁令が優しい微笑みを浮かべて、目の前に現れました。

 「譚さん、こんにちは」

 「暁令と呼んでください」

 「はい、暁令さん。私は楊思嘉といいます」

 と、自己紹介をしたあと、私は思いきってこう切り出しました。

 「受賞、おめでとうございます」

 「別におめでたいことでも何でもないですよ」と、彼女は笑いながら言いました。

 「もちろん、最後の点数も気になったけれど、私にとってこの大会で一番大事なことは、やはりこれまで自分が学んだことを、きちんとみんなの前で披露できるかどうかということです」

 「初めて京劇の世界に入る女性の役者のほとんどか、『青衣』と『花旦』を学ぶ人が多いように見受けられますが、どうして暁令さんは『老旦』を選んだのですか?」

 「それはもちろん、私が決めたことではなく、家族が選んでくれました。譚家の子孫というけれど、両親ともに京劇の役者ではなく、普通の学者だったので、娘の私を大学に入れたがっていました。私は子供の頃、クラスでもトップの成績を取っていましたが、いとこの譚正岩が京劇を勉強し始めたことがきっかけとなり、祖父も祖母も私に京劇を学ばせようとしました。しかも、そのときの私はまるまると太っていて、声もよく通ったので、『老旦』にふさわしいと思われていたのです」

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