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張凱:「京劇」という烙印を押された

2009-03-03 09:32:15     cri    

 張凱は山東省の出身で、これまで紹介した役者たちと違って、梨園の名門ではなく、家族には京劇に関する仕事をしている人もいませんでした。とりわけ恵まれている名門の子孫たちのような「家伝」という環境がありませんが、幸いなことに張凱の父親と母親は京劇好きです。張凱の紹介によりますと、彼の家族はとても伝統的な家族であり、父親と母親は典型的な「厳父慈母」です。子供の頃から、家で流されているのはいつも京劇でした。そして両親の薫陶を受けて、知らず知らずのうちに「京劇」が体の中にしみこんでいきました。

 その張凱にインタビューする機会がやってきました。実は、顔を合わせる前に、一度だけ張凱の公演を見たことがありました。それは去年末の「第六回全国青年京劇役者大会」の決勝戦でした。張凱は、このほど紹介した役者の裘継戎がコンテストに参加した演目の中で、官僚の役を演じたのです。それにしても、どうしてもそのおおような官僚が目の前の童顔の彼とつながりません。

  

 「あの、張凱さん本人ですか?」

 「もちろんですよ」と、彼はにこにこしていて、さらに子供っぽくなっています。

 「そうですか、とても『老生』(年上の男)には見えませんね。張凱さんは名門ではないのですね」

 「そう、僕は裘(継戎)たちと違って、家には京劇をする人がいないのです。が、僕の父と母は京劇に夢中なので、幼い頃から、京劇に親しみました。最初は、プロの役者にさせるつもりではなく、両親はただ、興味として幾つが歌えるようにさせたがっていました。そして、僕が8歳の時、ある交歓会で馬(連良)派の『借東風』を歌って、専門の京劇クラスの先生がちょうどそこにいて、京劇の申し子だと言われて、翌年の山東省劇曲学校に向ける京劇クラスに入りました」

 

 「両親も支持していましたか?」

 「それは決まっていることで、特に父の方です。毎日朝六時に起こして、稽古をしたりのどを鍛えたりさせてから、朝食を食べてクラスまで送ります。」

 「実は、父親は張凱さんをプロの役者にさせたがっていましたでしょう」

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