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王璐:「今」は何よりも

2009-03-16 10:17:52     cri    

 去年末に行われた第6回青年京劇役者大会の「武生」部で、一人の凛々しい周瑜(中国三国時代の文武両道に秀でる名将)が現れ、すべての観客と審査員を引き付けました。この周瑜の役をした俳優は国家京劇院三団の優れた武生・王璐で、大会の決勝戦に参加した演目は三国時代の名将・周瑜の死を主として述べた『魂断巴丘』です。三国時代に文武両道に秀でた名将・周瑜がいって、蜀国に借りた「荊州」という所を取り返すため出兵しましたが、こういうことをとっくに予測した諸葛亮は、荊州城の外に伏兵を置いておきました。荊州城に到着した周瑜は1人の姿も見えず、疑わしいと思っているところに、四方八方からの伏兵に囲まれました。周瑜は驚きならが怒って、古い傷が再発し、血が飛び散ってしまいました。蜀と呉が連盟を結んでいるので、周瑜の命を奪ってはいけないという諸葛亮の命令があって、蜀国の将兵はドラを鳴らして軍隊を引き揚げました。しかし、この上もない恥辱を受けたと思う周瑜はとうとう血を吐いて死んでしまいました。この演目の難しさが高くて、特に最後の周瑜の死を描写するため、俳優はまず体をゆっくり前かがみにして、そして迅速に体を反転し、背中を地面に向けて倒れます。しかし、王璐は

 「やはりそれだけは、周瑜がこの上もない恥辱を受けた激怒が強調できないと思っているので、すこし変えました」と、真剣な顔をして話を続けました。

 「周瑜という人物は誇り高いこそ諸葛亮のわなにかかっており、怒って死んだという結果になったのです。しかし、もし最後に体を前かがみにするとしたら、観客は僕の顔が全然見えなくなってしまい、僕はどうやって周瑜の死んでも死にきれない激怒を伝えますか?そこで、僕は勝手に最後のしぐさを変えました。まず悔やみや怒りのため目を丸くしたつらい顔を観客に見せて、ちょっと息を継いで、体を後ろへまっすぐに倒れます。とても痛かったですが、視覚的といい、効果といい、前よりよかったと思います」

 「想像できますね。では、王さんにとって、京劇は何ですか?」(これは私にとって、なくしてはならない質問です)

 

 「職業です」

 予想外の答えが急に出てしまいました。

 「それだけですか?」

 「それだけですが、それだけではありません」と、彼は目を細くしました。

 「僕の父は京劇の役者ですが、あまりつらくて、僕を京劇の役者にさせたがらないため、僕を楽屋に連れていきませんでした。ですから僕は家庭の薫陶を受けたのではありませんが、父の影響で京劇に興味がわいたと思います。幼い頃、一度だけ、僕は一人で観客席で父の公演を見て、京劇に惚れました」

 「それは何の公演でしたか?」

 「『長坂坡』でした。それは僕が初めて京劇を見た時で、それも初めて父の公演を見ました。ドラや太鼓が鳴って、舞台にたくさんの色鮮やかな人が現れ、とても綺麗で興奮した覚えがありました」

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