今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?林涛です
この時間は、北京郊外の八達嶺と延慶県、それに南の福建省に伝わる「金の牛」、「蓮の花の池」と「猫の子粥」という三つのお話をご紹介します。
始めは、北京市は郊外の万里の長城がある八達嶺に伝わる「金の牛」です。
「金の牛」
八達嶺の麓にある洞窟があり、入り口は大きな石で塞がれ、それは牛のお尻によく似ていたし、この中に金の牛がいたというので、地元の人々はこの洞窟を金牛洞と呼んでいた。
あるじいさんがこんな話をした。
むかしむかし、この洞窟の金の牛は毎晩出てきて物を食べ、雄鶏が鳴いて朝が来たことを伝えると洞窟に戻った。で、洞窟の入り口は牛が出るときには開き、戻ると閉まる。この牛は粟が好きで、粟は、食べられたところからすぐにまた生えてきて、それもぴかぴか光る粟で、これがとてもおいしい。当時はどこの粟も黄色かったので、この粟は特に高く売れた。そして新しく生えてきた粟を種として翌年植えて実がなり、それを臼で引くと金の粉のようになったので、百姓たちはこの牛を神さまのように思っていた。もちろん、牛が自分の粟畑にくるよう誰もが願う。
さて、このことを耳にした段という金持ちは、洞窟近くの畑を多く買い取り粟を植えた。が、どうしたことか、金の牛は貧乏人の畑の粟だけをあさり、金持ちの畑には目もくれない。これに金持ちは苛立ったあと考え込んでいた。
と、ある日、金持ちは夜遅く自分の畑の近くに潜み、金の牛が出てくるのを待った。やがて夜中になり、金の牛は洞窟から出てきて、こちらの畑で食い、あちらの畑で食べ、いつものとおりに金持ちの畑には寄らず、雄鶏のコケコッコーの鳴き声を聞くと、洞窟にのそのそと帰っていった。
「なんということだ!これじゃあ、わしの粟はものにならんではないか!うーん・・よし、明日の晩にやつを捕まえよう。そしてわしの畑の粟しか食えないようにしてやる。そうすれば、ピカピカの粟がたくさん売れ、大もうけできるぞ。ひひひ!」と金持ちは、翌日夜に鞭と鼻輪を手に、かの洞窟の近くの草むらに隠れていた。
こうしてまた夜半になり、洞窟から出てきた金の牛が畑で粟を食い終わり、雄鶏が鳴いたので洞窟に戻ってきた。このとき、金持ちは草むらから飛び出し、牛の尻尾を捕まえた。驚いた牛は洞窟に逃げて入ろうとし、金持ちはしっかりと牛を引っ張る。と、このとき、雄鶏の鳴き声がもう一度聞こえ、牛はそれにびくっとして洞窟に突っ込み、プツンをいう音がして尻尾が切れた。牛は洞窟が閉まるときに入ったものだからお尻を挟まれてしまった。尻餅をついた金持ちは痛さをこらえて洞窟を見ると、挟まれた牛のお尻は何と石に変わってしまったではないか。これではあとの祭り。これにがっかりした金持ちは立ちあがり、仕方なく縄と鞭を拾って帰ろうとしたが、何と地べたに落ち、石に変わった牛の尻尾に躓き、ひっくり返って腰をひどくうち立てなくなってしまった。そして昼になっても帰らないと心配して探しに来た家の者に担がれて帰ったと。うん、どうも打ち所が悪く、それからは金持ちびっこを引いて暮らしたという。
え?金の牛?知りませんよ。もういなくなったんでしょうね。
次は北京郊外の延慶県に伝わる「蓮の花の池」です。
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