「螻蛄」
平陽うまれの張景は、武術の達人であり、戦で手柄をたてたことから軍の副将をしていた。張景には十七になる娘がいて、張景と妻はとてもかわいがっていた。と、ある日の夜、娘が自分の部屋で寝ていると、誰かが戸を叩く音が聞こえる。ここは屋敷の中なので、気の強い娘が起きて戸を開けると、白い服をまとった大きな男が入ってきた。これには娘はびっくり。そこで床の近くまで逃げると、男もついてくる。
「あ、あ、あなたは何者です?で、出て行かないと、人をよびますよ」
この娘の言葉に男は声を出さすに笑っているばかり。これに娘は慄き始め、悲鳴を上げそうになるのをこらえて叫んだ。
「ば、ばけもの!」
これを聞いた男は笑ってこたえる。
「これはこれはお嬢さん。そんなに怖がることはござらん。わたしは斉の国の曹という大金持ちの一人息子でしてな。仲間からは美男子と呼ばれているのに、ご存じないのかな?今夜はこの部屋に泊めてもらいますからね」
こういって男は、娘の床に上がりひとりで寝てしまった。そこで娘は椅子に座ったまま夜が明けるのを待ったが、夜が明けると男は床から起きて外へ出て行った。
さて、この娘、実は幼いときから武芸達者な父についていくらが武術を学んでいたので、自分で何とかしようと思い、その日は昨夜の出来事を父や母に告げなかった。そしてその夜半、娘が寝ていると、かの男はまた来て一人で床で寝てしまう。ということは、男は娘にはいくらか武芸の心得があるのを知っているらしく、そう容易には自分の言うことを聞かないと考えたのだろう。
こちら娘、もう我慢ならんと翌日、このことを父の張景に話した。
「なんだと?けしらかん。わしの娘に手を出そうとたくらんでおるな!まてよ、その男は何かが化けて出て来たに違いない」
「父上、どうしましょう」
「そうじゃ。お前はわしの錐を知っておるだろう」
「はい」
「あの錐に糸を結びつけ、奴の隙をみて首に刺すのじゃ」
「ええ?わたしが化け物の首に?」
「お前だったら出来るはず。幼いときわしから学んだ術を使ってみろ」
ということになり、娘は錐を裾にかくし、その夜、かの化け物を待った。案の定、男はまたやってきたが、今夜は娘の口数が多いので、これはと有頂天になる。そのうちに娘は隙を見て裾から錐をすばやく抜き、油断している男の首を刺した。これには男びっくり。悲鳴を上げて逃げていった。
翌日、これを聞いた張景は男の逃げた跡を見つけたので、供を連れ、その跡にそっていくと、屋敷からまもなくのところに大きな木があり、その下に穴があったので、そこを供に掘らせると、なんと一尺もある大きな螻蛄がいて、首にかの錐が刺さっていた。
「こいつだったのか!何が斉の国の金持ちの一人息子だ!けしからん」と張景はその場で螻蛄を殺して燃やしてしまった。その日から娘の部屋にはかの男は来なかったという。
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