新疆ウイグル自治区は中国北西部の辺境地区に位置します。ここにはウイグル族、漢族、カザフ族、回族、モンゴル族など47の民族が生活しています。新疆はかつて西域と呼ばれ、古代から中国の分割できない一部であり、各民族はここで調和ある生活を送り、共に発展してきました。
ウルムチは新疆ウイグル自治区の省都。ジュンガルのモンゴル語で、美しい牧場を意味します。ここはかつて、東西のシルクロードを結ぶ要衝でした。現在は民族色豊かな中国西部に位置する輝く宝です。しかし、内外を驚かせる暴力犯罪事件がこの美しい都市の平和と静けさを一瞬にして破壊しました。
2009年7月5日、省都ウルムチ市で、暴力・破壊・略奪・焼き討ちといった事件が発生し、1000人余りの民衆が犠牲となりました。この日午後5時、まず200人余りがウルムチ市の人民広場に集まり、その後多くの人々が解放南路や二道橋などの地区に詰めかけて、スローガンを叫び、現場は混乱状態となりました。
午後7時40分、人民広場の南門で、300人余りが道路を閉鎖。午後8時30分に、人民広場の集会は暴力・破壊・略奪・焼き討ち事件の場となりました。暴徒は解放南路の龍泉街でパトカーを焼き払ったり、ガード・レールを押し倒したり、バスの窓ガラスを打ち壊したり、通行人を殴ったり切りつけたりし始めました。
およそ7、800人が人民広場に突入し、広場に沿って西門一帯へと組織的に集まりました。途中、絶えず人を殴ったり、物を壊したり、略奪したり、火をつけたり、一般市民を殺したりしました。
畢小強氏:「彼は私に、回族か漢族かと聞いた。私が回族だと答えると彼は私を殴りました。その後、私はそのダンボールの中に隠れました」
大バザール(大巴扎)で、暴徒は商店をむやみに破壊したり、通行人を殴ったりしました。驚き慌ててどうしたらよいかわからない市民は商店に避難しましたが、暴徒はさらに追いかけ、石や棒などで店を破壊しました。これはキンパリル菓子店の監視カメラが撮影した当時の様子です。
後泉路にあるこのスーパーマーケットは午後8時過ぎ、暴徒に窓ガラスやドアを打ち壊され、多くの品物が略奪されました。しかも、暴徒の一団は次から次へと襲撃し、5組の暴徒がこのスーパーを焼き討ったり、店から品物を略奪したりしました。スーパーに隠れていた106人の市民は幸い無事でした。夜10時に暴徒は方針を変え、いくつかの組みに分かれてあちこちの路地で勝手極まる暴力・破壊・略奪・焼き討ち行為に出ました。
ここはウルムチ市中の環路です。通行人の1人が暴徒の1人に大きな石でなぐり倒されました。また、その後にやって来た数人の暴徒も棒でこの人を殴りました。この場面は、当時靴屋に隠れていた記者がドアの隙き間から撮影したものです。
記者:「シーッ、声を出さないで、暴徒がドアのところにいますよ」
ここはウルムチ市の団結路です。映画がはねて映画館から出たばかりの市民がたちまち暴徒に襲われました。負傷した市民は次々に映画会社の庭に避難しました。この若者は背中を刀で2度も切られ血がだらだらと流れています。監視カメラがこの暴行を撮影しました。この日の夜、ウルムチ市の解放路、団結路、大バザール、競馬場、二道湾などの226ヶ所が放火されました。消防士が消火活動の際、暴徒の襲撃を受け、9人が負傷、消防車3台も焼き壊されました。
ウルムチ7・5暴力犯罪事件では、これまでに合わせて197人が死亡、1721人が負傷したほか、車627台、家屋331棟が破壊されました。この事件は新疆各民族に深刻な被害をもたらしました。調査によって、この事件には複雑な政治的背景があり、国外の東トルキスタン分裂勢力が画策し扇動した重大な暴力犯罪事件であることが分かりました。しかし、「世界ウイグル会議」やラビア議長は西側のメディアの取材を受けた際、この暴力事件を平和的なデモだとしています。それでは、7・5事件の真相はいったい何なのでしょうか?
これについては、6月26日に広東省韶関市で起きた治安事件から説明しなければなりません。今年4月、新疆のカシュガル地区疏附県政府が実施した、農牧民を貧困から脱け出させで豊かな生活を遅らせる、という計画の一環として、700人余りのウイグル族労働者が広東省韶関市の旭日おもちゃ工場に勤めました。半月余りの技能訓練を受けた後、新しい仕事や生活が始まりました。
生活習慣が異なり、言葉が通じないことで、2009年6月26日、旭日おもちゃ工場で、ウイグル族と漢族の労働者の間で集団的な殴り合い事件が起きました。この事件で、ウイグル族労働者2人が死亡、また双方の労働者118人が負傷しました。事件はすでに司法の段階に入り、ウイグル族の労働者も正常な仕事と生活を取り戻しました。
この突発的な治安事件はすぐに解決されましたが、ラビア議長や「世界ウイグル会議」にとっては、長い間待ち続けた、暴力とテロ活動を扇動するチャンスとなりました。「世界ウイグル会議」は7月1日、電話会議を開催。ラビア議長やドリクン・エイサ秘書長を含む全ての幹部が出席し、3項目の決定を下しました。
一、国内のウイグル族を扇動して事件を起こし、インターネットでの話し合いや電話などを通じて、新疆、特に労働力の輸出がより多いカシュガル地区に今回の事件の真相を広く伝え、国内の同胞を動員し、犠牲を恐れずに積極的に活動を展開させる。
二、国際社会の同情と支援をできるだけ集め、国外の「チベット独立」「民族運動」などの勢力と連係して共同で大規模な抗議行動を起こす。
三、「6・26」を記念日に定め、死亡したウイグル族労働者を英雄烈士とする。
数日後、ラビア議長をはじめとする「世界ウイグル会議」のウェブサイトに、ディリシャティ報道官の次のような発言が掲載されました。「これは中国政府が画策した組織的、計画的な民族掃討である」と。また、このサイトは「18人のウイグル族労働者が死亡し、600人余りのウイグル族が行方不明になった」というような発言も掲載。6月30日のサイトには「世界ウイグル会議」が抗議活動を行うアピールが掲載されています。
「今回の事件は、ウイグル族が中国大民族主義の犠牲者となり、絶滅的な殺りくに遭ったことを証明している」。その後の数日間、ラビア議長や「世界ウイグル会議」のその他の幹部は頻繁に国内と連絡を取り始めました。6月30日、ラビア議長はセイティ・トムトルク副議長に電話をかけ、「今回の事件を重視しなければならない。これは絶好のチャンスだ」と話しています。
7月4日夜10時、アメリカからの国際電話がウルムチにかかりました。電話の中で、ラビア・カーディル議長は弟のメメト・カーディル氏に対し、「明日、ウルムチで大きな出来事がある」と告げました。
7月5日午前11時、「7・5事件」のわずか数時間前、ラビア議長はメメト・カーディル氏らに再び電話し、「ウルムチで、今夜事件が起きる」と明言し、家族に安全に気をつけるよう注意しました。同日午後、ラビア議長は、「新疆ウルムチのウイグル族は今夜7時から7時半にデモ行進をする」とドルクン・エイサ秘書長に電話で通知しています。
ラビア議長や「世界ウイグル会議」の一連の画策と統制の下で7月5日夜、ウルムチで暴力・破壊・略奪・焼き討ち事件が発生。普通の社会的な事件を誇大して民族掃討だと歪曲し、さらに暴力・破壊・略奪・焼き討ち事件を扇動しました。韶関の「6・26」事件からウルムチの「7・5」事件にかけて、ラビア議長は「世界ウイグル会議」の真の姿を露呈しました。
2004年4月16日、「世界ウイグル会議」はドイツのミュンヘンで発足。この組織の目的は、新疆を中国から分裂させて、いわゆる東トルキスタン国を成立することにあります。「世界ウイグル会議」は「世界ウイグル青年会議」と「東トルキスタン民族会議」に属する東トルキスタン情報センターなどの東トルキスタン組織からなります。この2つの組織は、2003年12月に中国公安省が認定した4つの東トルキスタンのテロ組織の一部です。
現在、「世界ウイグル会議」の秘書長はドルクン・エイサ氏が担当しています。彼は世界ウイグル青年代表大会の議長で、国際刑事警察機構(ICPO)から国際手配されており、また別のテロ組織である東トルキスタン解放組織の幹部に就いたこともあります。では、これらのテロ組織は一体何をしたのか、振り返ってみましょう。
1998年1月30日から2月28日まで、東トルキスタン解放組織のメンバーがカシュガル(喀什)で、投毒事件を23回起こしました。4人が中毒となり、1人が死亡、数千頭以上の家畜が中毒死しました。
1998年4月6日、カルガシの国境地帯で中国税関と国境検査検疫部門は兵器の密輸事件を取り締りました。羊毛のコンテナに隠された軍用銃器6本、折り畳み式自動小銃1本、弾薬1万9千発、手榴弾90発以上を押収しました。犯人の証言によりますと、海外の世界ウイグル青年代表大会と東トルキスタン解放組織の指示を受けて犯行に及んだということです。
今年の5月21日から25日まで、海外の東トルキスタン分裂勢力、世界ウイグル会議がアメリカで三回目の代表大会を行いました。会議後の秘密会合で、ラビア・カーディル議長は「暴力と非暴力は、いずれも東トルキスタン運動の活動範囲にある。いま、新疆でたまたま抵抗活動が起きているが、報復的な小さな騒ぎでしかない。より大きな効果を収めるためには、国内の勢力が世界ウイグル会議の指示通り、抵抗活動を暴力活動にグレードアップさせ、国際社会の支援を求めなければならない」と明らかにしました。
ラビア・カーディル氏は世界ウイグル会議の二期目の議長を務め、かつて新疆ウルムチ市にいた不法商人でした。
1981年、彼女はウルムチ市の二道橋市場で、ドライフルーツを売る店を始めました。しかし、真面目な商人とは違い、ラビア・カーディル氏は脱税したり、人を騙したりして、不法な手段で富みを築きました。関係部門の調査によりますと、彼女が関わった経済犯罪の総額は3千万元に達したということです。
中でもアクタ貿易会社とラビア・カーディル会社の代表を勤めていた期間中、脱税額は480万元以上に上ったほか、ラビアビルの賃貸をめぐり借主を騙したりするなど、いまだに90社に訴えられ、債務の返還に追われている状況です。
1993年以来、ラビア・カーディル氏とその子女はおよそ700万元の債務を負いました。1997年から1998年にかけて、ラビア・カーディル氏は不法な手段を利用して、484万5千元の資金を募りました。また1997年以来、各投資プロジェクトで建築会社、不動産管理会社、銀行などに負った負債は総額1481万5300元以上に上ります。
一方、ラビア・カーディル氏が富裕層になった1990年代は新疆でテロ暴力事件が頻繁に起きた時期でした。1992年から2001年にかけて、東トルキスタン勢力は新疆で200件以上のテロ暴力事件を策動し、これにより各民族の大衆や幹部、宗教関係者160人が死亡、400人以上が負傷しました。
こうした事件を捜査する中、警察はラビア・カーディル氏が海外の分裂テロ組織と密接に関わっているだけでなく、資金を援助していることを突き止めました。
ラビア・カーディル氏の名前が付けられたビルは1992年に建てられ、1994年末に、ラビア・カーディル氏は東トルキスタン勢力と共にここに教室を設置、ここで訓練を受けた多くは民族分裂勢力の中核となりました。公安機関がラビアビルで見つけた資料によりますと、イスラム解放党など、多くのテロ組織のメンバーがここで訓練を受けていることが分かりました。
2000年3月19日、ウルムチ市中級人民法院で、ラビア・カーディル被告は不法に海外に情報を提供した罪に問われ、『中華人民共和国刑法』第111条、第56条第1項に基づき、8年の有期懲役と、政治権利剥奪2年の判決を受けました。
刑務所に入所後、ラビア・カーディル被告は国の安全を脅し、経済犯罪を犯したことについて多くの始末書を書いています。
2005年3月、彼女は治療を理由に、保証人を立てて一時出所を申請し、人道的見地から司法部門はその申し出を許可しました。そして、2005年治療を受けることを理由にアメリカへ。刑務所を離れる前日、彼女は改めて約束しました。
「世界のどこへ行っても、私は中国公民です。祖国は私の父、私の母です。中国共産党は永遠に私の恩人です。私は解放後に生まれた人であり、共産党は信じても、ほかの人は信じません。いかなる民族分裂勢力であれ、新疆の敵であり、我が民族の敵です。また全世界の人類の敵でもあります。わが国の安定への敵でもあります。そのことを私ははっきりとわかりました」
「これは私が猫をかぶり、装って言っていることではありません。今は夜です。私たちイスラム教徒にとって、夜に言ったことは命に関わるものなのです。私は命にかけてわが国の統一、わが国の安定、わが国の民族の団結を誓います。愛らしい私の友人たちがお互いに殺したりすることは、人は絶対に許すことができません。私はそう言いたいと思います」
約束したり命をかけて誓ったりしても、ラビア・カーディル被告はアメリカに着くとすぐに海外のテロリズム、分裂主義、過激主義の頭目らと会い、祖国分裂の活動を策動するようになりました。
7・5事件発生後、ラビア・カーディル氏と世界ウイグル会議はこの暴力犯罪事件との関わりを否定する一方、あちこちで盛んにメディアの取材を受け、自ら用意した道具を使って嘘を吹き始めました。
外国人記者:「画面では漢族が負傷し、ウイグル族が車を倒したり車に放火したりしています。また、街で女性が襲われました。これを見ててどう思いますか」
ラビア・カーディル:「メディアは二つの側面から見るべきでしょう。この写真を軍隊は7つの防御ラインを敷いています。その向こう側に、ウイグル人が和平的なデモを行っています。このような状況で軍隊が包囲する中で、我たちウイグル人が他人を傷つけることができるでしょうか」
詳しく見ると、この写真は6月17日に湖北省石首市で起きた事件のものでした。この事件では死傷者は出ず、この都市にいるウイグル族も非常に少ないのです。
関係のない写真を使って理屈を言う、こうした芝居は翌日にも上演されました。7月8日、フランスAFP通信はこの写真を掲載。写真の中の人物はほかの写真を掲げて、「漢族の警察はウルムチでウイグル族を殺した」と憤り、記者に訴えています。実はこの写真、世界ウイグル会議のウェブサイトのものなのです。
調査で、この写真は5月15日に浙江省杭州市萧山区で発生した交通事故の現場のものであることが判明しました。
7月6日、世界ウイグル会議のセイティ・トムトルク副議長は国内の東トルキスタン勢力と連絡を取り、「今回の事件は大騒動となり、漢族に多数の死者が出たことに、ラビア・カーディル氏は非常に満足している。漢族の写真を処理して、ウイグル族に見えるようにすれば、死者はウイグル族だと言うことができる。国内外のウイグル族を引き続き煽動して、事件の国際的な影響力を拡大し、中国政府の面子をつぶさなければならない」と伝えたということです。
あらゆる証拠が示すように、世界ウイグル会議が7・5事件を策動した目的は新疆での民族の対立、社会の動乱を煽り、新疆の政治的安定、経済発展、社会的安定を損なうことにあります。これには、ウイグル族の人々も強い憤りを感じています。
スマイ・アイマティ氏:これほど深刻な事態になるとは思いもよらなかった。各民族人民の根本的利益を全く無視し、わが国の法律を全く無視しています。
スマイ・ティリワルデ氏:7・5事件は海外にいるラビア・カーディル氏らの民族分裂勢力と国内の民族分裂勢力が結託して企んだ組織的な暴力犯罪です。民族の団結を破壊し、社会の安定を損ない、長期にわたって新疆にいる各民族が共に築いてきた調和ある社会秩序をも破壊しました。
テムア・ダワマティ氏:この事件は民族問題ではなく、宗教問題でもありません。その目的は民族の団結と祖国の統一を破壊することにあります。いかなる国であれ許すことはできません。
アブラテ・アブドルシテ氏:今日、新疆の変化は非常に目覚しい。1990年代初め頃、新疆の財政は中央政府の支援に依存し、GDPは千億元しかありませんでした。しかし今は4千億から5千億元。このような変化は、人々にとって喜ばしいことですが、ラビア・カーディル氏はこのような暴力犯罪を起こしてしまった。
事件発生後、事態収拾のため現地政府は直ちに措置を講じており、現在生産と生活は正常に戻りました。
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