帰りは車の道に沿って下山しました。道路も現在急ピッチで工事が進んでいますし、周辺の山では遊歩道を整備したり、植林したりしています。塔のまわりは梅や桃の木がいっぱい花を咲かせていましたが、きっと数年のうちには緑豊かなきれいな公園になるでしょう。麓の村までまた2時間近くかかって下りたら、ちょうどバス停でした。
来た時とは別の977番、地下鉄「苹果園」往きのバスに乗っていたら、途中、首都鉄鋼公司の工場跡地の丘に似たような塔が立っているのを発見しました。最初に書いた、同僚が聞いてきた塔というのはこのことだったんだ!と納得しました。
ところで、私が目指した万仏堂は結局、どこにあったのでしょうか。知らないうちに通り過ぎたのか、あるいは途中で道を間違えたのか。帰ってからもう一度ネットで調べたところ、遼代に開かれた万仏堂は民国時代にはすでになくなり、石碑の残欠が転がっているだけだったそうです。地図にあったのは、村の名前に残っていた万仏堂で、だからもともと塔なんかなかったわけです。怪我の功名というか、別のものを目指して行ったのが、たまたま目的のものにたどり着けましたが、次は、もう少し事前に調べてから行こうと思いました。それにしても、往復5時間の山歩きはこたえました。まだ、体中がギシギシ悲鳴を上げています。(大野清司)
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