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日本人スタッフのつぶやき240~枇杷膏的記憶・学校(2)

2013-03-28 13:09:44     cri    
 (中原の「つぶやき」コーナーは、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)


高校の前で。当時15歳の私と友人たち

 ある日の事だった。

 父が突然、私と妹に「転校宣告」をした。

 私たちが6月下旬から通った日本人学校は、中学生までしか設けられていない。

 翌年から高校生になる私は、自ずと進路を決めなければいけなかったのだが、当時日本で学歴として認められる北京の高校はそれほど多くなかった。

 そこで9月制を導入している中国の基本的な方針に合わせて、私は現地校に設けられた"国際学生部"という名の外国籍学生のみを受け入れている"中学校"に通う事になったのだ。中国ではほとんどが中学6年制を採用しているため、つまり私はその中学校の4年生に編入する事になるのだった。

 そしてなぜか、当時小学校5年生だった妹も(ついでに)その学校の1年生に編入することになり、2人まとめて9月からの「転校宣言」が行われたのだ。

 今思うと、父上のその果断には頭が下がる想いである。

 その学校では、授業のほとんどが中国語で行われたが、友達同士の会話には当然のように英語と中国語の両方が使われていた。

 が、私たちはせいぜい「シェイシェイ」と微笑むのが精一杯のストレンジャー。

 一体どうやってその中学を無事卒業できたのかと言うと、その学校では年齢層ごとに"漢語班"が設けられていて、そこでまずは中国語の勉強をしてから随時編入試験を受けて本科に入る、というシステムが採用されていた。

 つまり、入学以前の中国語力はそこまで問題ではなかったのだ。

 しかし外国籍の子供たちが集まるその学校は、英語もかなりのハイレベルだった。文系クラスはIB(International baccalaureate)という国際試験で7段階中4以上の評価を取らなければ卒業が許可されないし、 生徒同士の日常会話は、中国語が話せない段階ではなおさら英語が必須であった。

 ところが私は日本で、中学校の英語科目をほとんどサボってすごすという、不届き者な娘だったのだ。

 当時の私は、「this」と「that」の区別もつきやしない。

 そう、我が父上は、中国語「シェイシェイ」レベルで英語「this? that?」レベルの私たちを、果敢にもそんな学校に転校させる決断をしたのである。

 ~つづく~

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