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<コレ若>第十弾(2) 夢に向かって手を取り合う若者たち

2011-12-13 18:38:50     cri    

第10弾 夢に向かって手を取り合う若者たち

 「コレ若」シリーズ第10弾は、異なる背景を持つ若者たちが手を取り合い、夢に向かって進んでいく姿をお届けしています。第2回の今日は、第1回でご紹介した林同勇さんのサポートで、初の個展を開催した司馬蕗楠さんをクローズアップします。

第2回 「絵を描く」という選択肢


司馬蕗楠さん

 今回、手探りながらも北京で初めての個展の開催に至った司馬蕗楠さんは現在、清華大学美術学院で留学生として絵を学んでいますが、実は中国遼寧省に生まれ、5歳までを中国の地で過ごした華人2世。

 中国籍のまま日本に生まれ、日本で育ってきた第1回の林同勇さんとは少しその背景が異なり、ご両親が帰化したことで日本籍を持ちます。

 (「華僑」は中国籍を残したまま海外に移民した人々をいう。本来は1世のみを「華僑」と呼び、2世以降は「華人」と呼ばれるが、現在は居住国の国籍を持つ中国人を「華人」と呼ぶことが多い)。

 5歳で日本に渡った司馬さん。

 全く日本語が話せないまま地元の幼稚園に入った司馬さんは、当時を振り返ってこうお話してくれました。

 「初めのコミュニケーションは全部ボディランゲージです。絵が描きたい時は頑張って紙と鉛筆が欲しいことを身振り手振りで先生に伝えていました。手に入れた道具を地面に広げて座り込んで絵を描いていると、覗き込んだり一緒に絵を描き始める子が現れて、言葉を話せなくてもほかの子と一緒に遊べる方法が絵だったように思います」。

 「人との交流」それが幼いころの司馬さんにとっては「絵を描くこと」。

 その幼少時の経験は、一度は絵から遠ざかった期間もあると話す司馬さんがその後、「絵を描く」という道を再び選択したことに、少なからず影響していることでしょう。

 絵を描くことから遠ざかっていた期間について、司馬さんはふと「絵を描いていないことが悔しくなった」といいます。

 「高校は多感な時期だったせいか、絵を描きたいという気持ちがなくなっていました。大学に入ってから美術館に行くようになりました。(その時期、絵を描くことから遠ざかっていたが)絵を見るのが相変わらず大好きで、好きな作品を見つけるとわくわくして、自分が絵を描いていないことがすごく悔しくなったんです」。

 日本で大学卒業後、中国清華大学の美術学院に入学した司馬さんですが、ご両親は当初芸術の道に進みたいという司馬さんの夢に反対だったそうです。

 ご両親と何度も話し合いをして中国の美術学院に足を踏み入れた司馬さん。

 いざ中国を目指すことになった司馬さんの胸に浮かび上がってきたものは、幼いころ過ごした中国での記憶でした。

 「5歳まで中国で育ったので、その頃見ていたアニメや絵本の中の絵が記憶に残っていました。自分の最初の絵のイメージを作ったものは何だったのかを知りたいと思い、中国で美術を勉強する、ということがすごく魅力的に思えました」。

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