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<コレ若>第九弾(4)「藤間万恵 日本舞踊の会」~踊りがつなぐ師弟の絆~

2011-11-29 16:31:55     cri    

 「コレ若」シリーズ第九弾は、日本舞踊の舞台に挑戦した中国人のお弟子さんたちと、その師である藤間万恵先生をクローズアップしています。

 第九弾ラストとなる今週は、いよいよ藤間先生にスポットを当てます♪

 第四回 明日につながる場所、中国

プロフィール:藤間万恵(まえ)

 

2歳半より藤間流(勘右衛門派)の日本舞踊を学び、プロの舞踊家として30年にわたって日本で活躍。

 

多くの舞台に出演する傍ら、東京・新宿で門弟の指導に当たる。

 

これまで文化庁芸術祭新人賞、同芸術祭優秀賞を受賞。

 

20109月より20117月まで、日本政府文化庁の依頼を受け、文化交流使として中国で活動を行う。

 先月10月22日と23日に行われた「藤間万恵 日本舞踊の会」の公演。

 (公演の詳しいリポートはこちらから。映像はこちらから。)

 「外国人が一国の伝統芸能の舞台に立つ」という、大きな挑戦とも言えるこの取り組みを成功させた藤間先生は、文化交流使として中国を訪れました。文化交流使としての活動は10ヶ月間だったものの、今回の公演を実現するためにその活動期間を超えて数ヶ月の時を費やしました。文化交流使を引き受けるまで、そして文化交流使として中国の地を踏み、この公演を成し遂げるまでにはさまざまなエピソードがあったそうです。

 日本で30年にわたって活躍し、舞踊家として賞を受賞してきた藤間先生に日本文化庁から文化交流使としての話が持ちかけられたのは、実は数年前のこと。

 しかし、多くの門弟を抱え、また舞踊家として仕事の依頼が半年先までいっぱい…という生活を送っていた藤間先生がお話を引き受けるのには、大きな決心を要したと言います。

 「日本の伝統芸能を学んできたものですし、しかもそれを仕事にしましたから、海外に全く目は向かない生活をしていたわけですよね。プロになってからは、海外での公演の仕事をいただいて海外に伺うこともありますけれども、自分で率先して活動しようとは全く思っておりませんでした」。

 "文化交流使"とは、日本文化庁から海外に派遣される芸術家や文化人のことで、日本の文化に対する世界の人々の理解を深め、日本と外国の文化人のネットワークを形成し、またその強化を図ることを目的としています。

 そうした大役を担う文化交流使ですが、これは自ら志願してなれるものではなく、「突然白羽の矢が立つ」ものなのだそう。

 「なぜ突然私が仰せつかったのかはわからないのですが、実は一度お断りしたんですね。なぜかと申しますと、やはり長い期間日本を留守にしなければならないということは、私はお弟子も持っていますし、日本の活動をストップしなければならないことになるわけです。それは舞踊家として、舞踊家生命にかかわりますから。ですから、大変な決心がいりました」。

 「どうしてもお願いしたい」という文化庁の意向を受けて、藤間先生はそこから準備に入ったそうです。

 どの国に何ヶ月間行くか。

 当初藤間先生はイギリスへの派遣を考慮しており、半月ほどを費やしてほぼ下準備を済ませていたと言います。

 それがなぜ、藤間先生の目は中国へと向けられたのか。

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