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四字熟語―金屋蔵嬌

2012-11-12 14:40:37     cri    


























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 「金屋蔵嬌」字面からの意味は、愛する女性を金で作った豪邸に住ませるということです。

 もともとの意味は、男性が将来、自分の妻となる女性に約束した言葉です。金のお家に住まわせてくれるなんて結婚後の幸せな生活に対する憧れを表しています。その出典は漢の時代の小説、「漢武帝の物語」です。

 その約束をしたのは、漢の時代に、最も有能な皇帝の一人、漢武帝です。そして、その幸せな女性は、漢武帝の最初の妻、陳阿嬌です。漢武帝が金の家を造って、隠したい女性です。

 「金屋蔵嬌」の物語

 漢景帝には劉徹という10番目の息子がいます。とても聡明で利口な子供でした。4歳になると、すでに胶東王という諸侯王の称号を獲得しました。数年後、ある日のことです。皇帝の姉、つまり、劉徹のおばさんである館陶姫が娘の陳阿嬌を連れて、宮殿を訪れてきました。

 聡明で可愛い劉徹が大好きになって、おばさんの館陶姫は劉徹を自分の膝に座らせ、このように聞いてきました。「徹ちゃん、お嫁さん欲しい?」まだ幼い劉徹は「ほしいよ」と答えました。

 すると、館陶姫はずらりと列に並んだ100名あまりの女官や下女を指して、「どれがいい?」と聞きました。劉徹は首を横に振って、「違う」と否定し続けました。

 最後に、館陶姫は自分の娘、きれいな阿嬌を指差して、「阿嬌ならどう?」と聞きますと、劉徹は笑って、「いいよ。大人になって阿嬌をお嫁さんに迎えることができれば、金で大きな家を作ってあげたい」と話しました。

 その話を聞くと、館陶姫はとても喜びました。何度も皇帝に頼み、二人を婚約させました。

 これは「金屋蔵嬌」という四字熟語の由来です。もう一度、登場人物をご紹介しましょう。

 時代は項羽と戦って、勝利を得た劉邦が樹立した漢の時代です。皇帝は、漢の時代の4番目の皇帝、漢景帝です。

 主役の劉徹は景帝の10番目の息子で、後に、武帝となって、即位しました。

 景帝の妹、つまり、劉徹のおばさんは、館陶姫です。その娘は、後に、劉徹の妻となった陳阿嬌です。

 政治的要素の働き

 阿嬌と会って、将来、僕の妻になってくれるなら、金の家を造って上げるぞと、約束した劉徹は、その時、まだ10歳になったか、なっていないかという年齢です。この物語自体から考えると、少年少女の純粋な恋の芽生え、とてもロマンチックな感じですね。

 物語自体はそうなんですが、実は、皇室の結婚ですから、その裏には、様々な政治的な要素の働き掛けがあります。実は、館陶姫が一番最初に婿の候補者として考えたのは、娘よりも年下の劉徹ではなかったのです。

 皇室では、もちろん、正妻の息子が一番地位が高くて、特別な事情がなければ、次の皇帝となる最も有力な人物です。しかし、漢景帝の正妻には、息子がいなくて、皇帝の寵愛を得ていませんでした。

 そうすると、他の妃が産んだ長男が一番跡取の可能性があります。館陶姫が決めた目標は皇帝の長男でした。しかし、長男のお母さんに断られました。その原因は、館陶姫が何度も自分の弟である皇帝に、美女を献上したりしていたからです。

 断られた館陶姫は激怒しました。その悪口を言ったり、皇帝に密告したりして、最後に、その母子を完全に打ち倒しました。

 また、自分の娘が将来、皇后となるためには、王子たちから第二の候補者を選びました。その第二の候補者は、物語の主人公、そして、ついに皇帝となった劉徹です。そして、自分の娘のために、劉徹の方を全力で支援しました。劉徹を選んだ理由は、彼が生まれた時、その母親は、自分のお腹に太陽が入ってきた夢見たからです。それは何かの暗示で、劉徹は将来、もしかして皇帝の座を取ることができるかもしれないということでしょう。確かに、劉徹は小さい頃から、とても聡明な子供でした。将来有望です。

 このようなことを考えると、劉徹と阿嬌の婚約は、大人たちの都合で合意した契約みたいなものです。二人の感情なんか、全然考えられていないようです。そもそも、中国では昔、貴族の結婚は、家族と家族の絆を結ぶことで、個人の意思はあまり考えられませんでした。 劉徹と阿嬌が結婚する前に、まだ合ったことがあるので、ある意味、自由恋愛の要素も入っていると言えます。全く会ったこともないのに結婚する場合もありましたから。

 結婚後の生活

 童話なら、「王子様とお姫様が結婚し、いつまでも幸せ暮らしていました」というパターンのハッピーエンドが多いですが、劉徹と陳阿嬌は違います。

 阿嬌は、ずっと劉徹が好きで、一途に思い続けました。しかし、自分の家族が彼の即位に絶大な貢献をしたため、皇后としてとても威張っていました。阿嬌は皇帝の妹の娘として、小さい頃から、絶大な財産や権力を持っていました。それに彼女の家族も劉徹に恩義を与えたわけですから、劉徹と結婚して、皇后になっても、恐らくあんまり媚びることができなかったでしょうね。

 漢武帝は政治や軍事などの面では、非常に才能を持っていますが、女性にはとても冷酷でした。そんないつも上から目線という妻に対してあっという間に新鮮感を失っていました。そして、阿嬌は子供も産めませんでした。

 こうやって、二人の間に大きな溝ができてしまいました。ちょうどその時、皇帝の妻や妃たちが住む宮殿では、「呪い」の道具が見つかりました。昔、中国の皇室では、呪いが人に禍をもたらしたり、殺したりすると信じられ、タブーとされていました。この事件を調査したら、なんと皇后の陳阿嬌に辿り着いたそうです。

 呪いのようなものは、人形を作って、針とかを人形の心臓に刺したりするのです。女性たちの嫉妬が渦巻く宮廷では、よく人を陥れる手法として使われました。中国の数千年の歴史には、実は、呪いで陥れられた妃や大臣、王子、姫が数多くいました。陳阿嬌は本当にそれをやったかどうか分かりません。皇帝がそれを信じれば十分です。

 漢武帝自身は、阿嬌の母である館陶姫の支持で、王位を得ました。そして、即位したばかりの時に、祖母の反対で、危うく王座を失いかけていました。ですから、誰よりも、親類の力、なかでも女性の親族に怯えていました。だから、いつも自分の前で叔母を思い出させる陳阿嬌が嫌いでした。

 陳阿嬌は罪を問われ、皇后の座も追われました。一生、長門宮という宮殿に監禁されました。

 阿嬌は小さい頃から金の宮殿と自分を愛してくれる夫を夢見ていましたが、そんな夢は冷たい長門宮で醒めたことでしょう。

 現在の使い方

 「金屋蔵嬌」、もともとの意味は、男性が将来、自分の妻となる女性に約束したことです。結婚後の幸せな生活に対する憧れを表しています。しかし、皮肉なことに、今、この言葉は、愛人を持って、愛人をきれいな家に住ませているという意味で使われています。

 もちろん、そんな愛人は感情より金銭目当てです。今、不動産価格が高騰し、普通の20代の女性はもちろんマイホームを買うことができないです。男性から、高級マンションに住まわせてあげるよ、働かなくてもいいから、お金をいくらでも上げるよと口説かれれば、喜んで受け入れる女性は大勢いるようです。

 いつか自分も「金屋蔵嬌」する。愛人を持って、素敵な家に住まわせたい。今や、多くの中国人男性にとって、このような行動は一種のステータスの象徴なのかもしれません。

 逆に「金屋蔵嬌」、素敵な家に隠されている女性たちの気持ちはどんなものなのでしょう。

 ちなみに、中国では、「金屋蔵嬌」という名前の料理もあります。揚げ団子の中にココナツミルクが入ったものです。出来立ての時のミルクはまだ液体状態です。アツアツのココナツミルクを飲み、お腹が温まりますね。冬場にもってこいの一品です。

 冷めるとマズそうですけど、熱すぎて火傷しないようにお気を付け下さいね。

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