韓湘子の物語
韓湘子は唐の時代、韓愈という有名な文学者の兄弟の孫だと言い伝えられています。幼い頃に親が亡くなったため、韓愈に育てられました。
韓愈のほかの子弟たちは皆、学問に励んでいますが、韓湘子だけ読書が嫌いで、酒ばかり飲み、ぶらぶらしている放蕩者でした。
20歳の頃、親戚の家を訪ねたはずの韓湘子は、「山や河川などすばらしい大自然に惚れちゃった」と言い残して、実家に帰らず、そのまま行方不明になりました。20年後に、ようやく実家に戻ってきました。ボロボロの服を身に纏い、普段の行動も普通の人と違います。
韓愈は学校に入れ、生徒たちと一緒に勉強させました。しかし、韓湘子は討論会で一言も話しません。逆に、下僕とギャンブルをやったりしていました。酒を飲み、泥酔すると、馬小屋で3、5日寝たり、道端で寝てしまったりしていました。
韓愈は聞きました。「人それぞれ長所がある。小売屋でも自分を養う能力がある。君はこのままだと、将来、何ができるか」。
韓湘子は答えました。「お祖父さんには分からないかもしれませんが、私には技があります。ただ、私が学んだことはあなたたちのものとは違います。」真冬にも花をすぐに咲かせることができると話しました。彼は鉢に土を盛り、牡丹を植えました。すると、彼が言ったとおり、たちまち芽生えて、大きくなり、そして、きれいな花が咲きました。 韓湘子は後に呂洞賓について道を学び、仙人になったと言われています。
元の時代の小説によりますと、韓湘子はもともと人間ではなくて、仙人が飼っていた鶴だということです。仙人に飼われた鶴ですから、いつも仙人と一緒にいて、修行に関する講義を聞いたりし、自分なりに悟るようになりました。
しかし、鳥ですので、そのまま仙人になることができません。すると、呂洞賓はまず羽を脱し、人間になるようにと指導しました。それで、この仙人予備軍だった鶴が、人間として生まれ変わり、韓愈に養われるようになりました。
呂洞賓も人間の身分を得て、韓湘子の修行を指導したりしました。そのおかげで、韓湘子は順調に仙人への仲間入りができました。
藍采和の伝説
藍采和は四川省の出身です。韓湘子と似ているところがあって、こちらも普通の人がちょっと理解できない風変わりな人です。
伝説によりますと、藍采和はいつもホームレス風のいでたちで、片方に靴を履いて、片方が裸足だったりするということです。夏に何枚も下着を着てそれでも寒いと言ったり、冬に薄着で雪に横たわって、暑い暑いと言ったり、その身体から水蒸気のようなものがプンプン出ているということです。
酔っ払うと、街で長い拍子木を持って、チョーン、チョーンと打ち合わせて、ふらふらしながら、大声で歌います。まるで発狂しているように歌っていますが、実際はそうではない。歌詞は気ままに即興で作られたもので、それをよく聞きますと、俗世間から抜け出した仙人の世界観が潜んでいるということです。
こうして歌うことで、見ている人がお金をくれて、そのお金で旅を続けました。藍采和はもらった金を紐に通して引っ張って歩きます。酒に使ったり、貧しい人に挙げたりしました。子供の時に藍采和を見た人が、年寄りになって再び会いました。藍采和はまだ昔と同じような容貌で全然変わらないと言います。
ある日、藍采和は普段と同じように、酒場で酒を飲んでいました。突然、空から、仙人の世界へ迎えるための笛の音が聞こえてきました。すると、藍采和は周りの人が見守る中で、ゆっくりと天に上っていきました。
何仙姑の物語
何仙姑は江蘇省の出身だそうです。苗字は何であるのか判明するものの、その名は分かりません。仙姑というのは、仙女とほぼ同じ意味で、女性仙人に対する呼称です。八仙の中で唯一の女性として、注目される存在です。
民間では、何仙姑に関する様々な伝説があります。その出身地についても、江蘇省のほか、広東省や、広西、福建など、いろんな説があります。
出身地と同じように、この女性がどうして仙人になったのかについても、色々な言い伝えがあります。豆腐屋さんの娘だったというのもあるし、夢の中で、仙人と出会い、雲母の粉を食べ続け、身体が軽くなり、死なないと教えてもらったというのもあります。
中国の道教でいう仙人になる道は、だいたい丹を練り、それを飲む過程が必要なのです。雲母は丹を練るための重要な材料の一種だといわれています。
何仙姑の故郷には、雲母が多く採れる山があります。きれいな小川が山から流れていて、雲母川と呼ばれます。何仙姑の家はこの雲母川の畔にあります。雲母川の水を飲んで育った何仙姑は、とても美しい人となりました。
14歳の時に、彼女は川の畔え、白くて長い髭を生やしたおじいちゃんと会いました。おじいちゃんは現地の情況を尋ね、彼女は一つ一つしっかりと答えました。そのお礼に、おじいちゃんはみずみずしい桃を彼女に挙げました。
桃を食べた何仙姑は数日間、空腹感を覚えず、食欲がなくなりましたが、ますます元気になっています。
1ヵ月後に、何仙姑は元の地点で再びあのおじいちゃんと会いました。今度は、おじいちゃんは彼女を山に連れてきて、雲母の採集や服用の方法を伝授しました。
何仙姑はおじいちゃんの指導に従って、毎日、雲母を食べるようになりました。それを食べているうちに、彼女は自分の身体がどんどん軽くなっていることを実感していきます。山の頂上まで軽く行き来したりし、まるで飛んでいるかのように歩いています。そして、山から霊薬を採ってきて、近くの住民のために病気を治療したりし、「何仙姑」と呼ばれるようになりました。
ある日、何仙姑は薬を取りに、山奥に行きました。そこで、李鉄拐および藍采和を見ました。この二人は、何仙姑の前方に立ち、呪文を唱えると、スーと姿を消しました。
それは空を飛ぶための呪文でした。仙人たちに憧れていた何仙姑はそれを覚えて、こっそりと山奥へ行って、いっぱい練習して、だんだんと慣れて、飛べる距離もどんどん長くなっていきました。
何仙姑が26歳のある日、空を眺めながらボウとしている時に、ふと遠い雲の上に、李鉄拐が現れ、彼女を呼んでいるかのように持っている杖を振りました。そうすると、知らず知らずのうちに、何仙姑の身体は美しい鳥のように、空に舞い上がり、李鉄拐に付いていくことができました。
これで、ようやく八仙の全員が揃いました。異なる時代、異なる場所の人間ですが、その中で、恐らく実在の人間ではないかもしれないメンバーもいますが、人々が色々と想像を尽くし、つくり出した仙人のグループ。今でもよく知られているということは、ある意味、最強の仙人集団なのかもしれませんね。民間に生まれた伝説だからこそ、庶民に親しまれ、今日まで伝わっています。
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