ナビゲーター 黄競
皆さん、楽しみにしていたオリンピックがイギリスのロンドンでいよいよ始まりました。このロンドンオリンピックの開催にちなんで、中国ではこのほどイギリス音楽文化祭が開幕しました。文化祭開催期間中、オックスフォード大学合唱団やBBC交響楽団それに、ウェールズ国家管弦楽団が北京、上海、重慶などの都市で公演を行い、中国の観客たちに本場のヨーロッパ音楽の魅力を紹介します。
実は、ヨーロッパの交響楽とオーケストラは19世紀の末に中国に伝えられ、もう100年以上の歴史があります。1930年頃からは中国の音楽家も多くの素晴らしいオーケストラ作品を作曲するようになりました。
中国での、ヨーロッパ音楽の中心は上海でした。当時の上海は中国最大の商業都市として非常に繁栄し、冒険家の天国と言われました。世界大戦やロシア革命によって亡命してきた多くの欧州やロシアの音楽家がここに住んでいました。これらの優秀な音楽家が上海と北京の音楽界で活躍し、この期間、中国音楽界は初めて、交響曲など、ヨーロッパの音楽の繁栄期を迎えたのです。その後、ウィーン交響楽団の首席ヴァイオリン奏者を含む多くの優れたユダヤ人音楽家がナチス・ドイツの迫害を蒙り、上海に亡命しました。そして、上海で多くの優れた弦楽奏者、音楽家を養成しました。冼星海氏や賀緑汀氏など中国の有名な音楽家がこの時期に育ちました。
1930年代、多くの若い中国音楽家が、ヨーロッパの管弦楽で中国の伝統音楽の魅力を表現する工夫を始め、多くの素晴らしい管弦楽の作品を創作、海外でも好評を得ました。作曲家・江文さんが1934年に創作した作品・交響曲「台湾舞曲(台湾舞曲)はこの時期の代表作品です。当時、日本に留学していた江文さんが故郷・台湾への深い思いを込めた作品です。
1949年、新中国建国以来、全国で多くの音楽学院が設立され、中国の初の交響楽団も創設されました。当時の指導者・毛沢東主席は「音楽家が民衆の生活の中に深く入り込まなければならない」と指示し、これを受けて、中央民族音楽訪問団が設立されました。当時、中央音楽学院の教授を務めた劉鉄山さんは1951年に訪問団に参加し、中国西南地方で多くの民謡を収集しました。そして、同じく音楽学院の教授である茅沅さんと共に交響曲「瑶族舞曲(ヤォ族舞曲)」を創作しました。
今回の中国メロディーは、こうした、中国の交響曲を特集します。曲は「晩会(交歓の夕べ)」、「台湾舞曲(台湾舞曲)」、「瑶族舞曲(ヤォ族舞曲)」、「山丹丹花开红艳艳(イトハユリの花咲き、野は赤く色鮮やか)」の4曲です。
1曲目 晩会(交歓の夕べ) (賀緑汀)
曲は中国有名な音楽家である賀緑汀氏が1930年に創作したものです。初め、ピアノ曲として作られ、その後、彼はこの曲を交響曲にアレンジしました。
曲の冒頭部分の太鼓を交えた軽快な音楽は陽気で明るい雰囲気を作り、夜会が始まることを表しています。続いて、異なる楽器の音色の変化を通じて、喜びに溢れる夜会の場面が描かれ、激しいドラと太鼓のリズムを伴って、曲はクライマックスに達します。
2曲目 台湾舞曲 (台湾舞曲) (江文)
曲はフランスの作曲家・ドビュッシーの印象派という音楽表現に影響され、作られたものです。木管楽器が中国の特色ある舞曲を吹奏し、人々を素朴で美しい中国世界へ誘います。また、ピアノや管弦楽の色彩豊かな音色は台湾の山間部に住む人々の美しい歌声をうまく表現しています。とても感動的な一曲です。台湾伝統音楽の味わいを充分に感じさせてくれますね。
3曲目 瑶族舞曲(ヤォ族舞曲) 劉鉄山と
この曲は祝日の夜、ヤォ族の人々が村の広場に集まり、音楽にあわせて、歌ったり踊ったりする愉しい場面を描いています。本当に美しい曲で、私も、とても、好きな曲です。
M4 山丹丹花开红艳艳(イトハユリの花咲き、野は赤く色鮮やか」
曲は作曲家・屠冶九さんが中国の民謡を元にしたもので、赤い花が山に満ち満ちて咲いて、人々が楽しく歌っている場面を描いています。アレンジされた交響曲は民謡の美しいメロディーと楽しい雰囲気を保ち、笛やチャルメラ、胡琴、琵琶など伝統楽器の豊かな音色が中国伝統音楽の魅力をうまく表現します。
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