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蒙古族の学者ーバトゥ

2009-11-23 16:44:12     cri    

 バトゥさんは新疆ウイグル自治区の蒙古族の学者です。

 1952年、バトゥさんは新疆昌吉州木薩尓県の普通の放牧民の家に生まれました。大学卒業後、教師や陸上選手、翻訳などの仕事に付きました。教師を勤めた数年の間で、標準語のレベルが大いに向上しました。バトゥさんの話によれば、当時、バトゥさんはウイグル族や蒙古族の学生に標準語を教えるばかりではなく、漢族の学生にもウイグル語の新文字を教えました。これを通じて標準語とウイグル語のレベルを向上させたということです。

 言語を教えるすばらしい仕事振りによって、バトゥさんは新疆ウイグル自治区民族宗教委員会古跡事務所に転勤され、新疆地域少数民族の古跡について、データーの収集や整理、出版の仕事に従事するようになりました。これによって、蒙古族の文化と縁を結ぶことになりました。これについてバトゥさんは「改革開放後、文化の発展は非常に速く、特に科学技術者の人数が日増しに増えてきた。1989年、われわれは北京で伝統的な民族文化遺産を紹介する「ジャンゲル(江格尓)展」を行い、70回章にまとめられたデーターを展示しました」と述べました。

 言語の研究は味気がないものの、豊富な知識がなければならず、たくさんの体力や頭脳労働を必要とします。民族言語は使用範囲に制限されて、参考になるデーターが少なく、研究は多くの困難にぶつかりました。新疆地域に居住する蒙古族の人数は18万人近く、大多数が交通の不便な山間地帯に住んでいます。それによって、その言語についての研究は容易ではありませんでした。

 バトゥさんは常に、一つの伝説やことわざを検証するため、山を越えて、年配の人を訪ねました。そして、言語の整理は地道差が必要とし、大量のデーターを収集し、閲覧しなければなりません。バトゥさんは毎日5時間しか休むことができませんでした。しかし、バトゥさんはこれを辛いとは思わず、「この仕事は非常に意義がある。蒙古族の人々が自分の民族の歴史についての書籍を読めるようになったことを見て、非常にうれしく思っています」と話してくれました。

 1985年、新疆では総合的な学術団体である「新疆衛拉特(オイラド)蒙古研究会」(オイラド人は蒙古族の一部族です)が設立され、また、1999年に、全国「ジャンゲル研究会」が設立されました。これで新疆蒙古族文化の発展の基礎を固めました。

 バトゥさんはこれについて、「過去、独立した研究会や学術団体はありませんでした。これら学会の設立は、民族文化の研究が新たな段階に入ったことを示します。一定規模の研究者がなければ、研究会にならないだろう」と話しました。

 現在、バトゥさんは新疆ウイグル自治区民族宗教委員会の所長を務めています。仕事の中で、バトゥさんは数十年を一日のごとく、蒙古族の歴史文化古跡のデーターを収集し、整理しています。余暇の時間もデーターの整理と翻訳に専念しています。

 蒙古族の文化の今後の発展について、バトゥさんは学会の力を大いに発揮させていくべきだと考えています。(翻訳:トウエンカ)

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