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シポ族人家

2009-10-23 11:25:48     cri    

 中国には55の少数民族がいて、シボ族はそのうちの一つです。新疆ウイグル自治区チャブチャル県では、200年余り前に東北にある瀋陽地区から引っ越してきたシポ族の慣わしと風情がいまに伝わっています。

 先祖がチャブチャル県ザコチニュロ郷に引っ越してからもう10代目となったシポ族のお年寄り白和昌さんは、今年70歳ですが、若いとき、他のシポ族の人々と同じように、農業、狩猟と放牧で生計を維持していました。そしていま、一家は2階建ての西洋式住宅に住んでいますが、白さんは昔の暮らしを思い出しながら「いまの暮らしは昔と比べかなりよくなった。もし、私の若いときに家族計画、つまり一人っ子政策があればね。それがなかったので、私の子供は多く、当時の暮らしは貧しかった」と話してくれました。

 のちの改革開放後、一家の暮らしはよくなり、いまでは農作業に取組みながら、商売を始めました。長男は地元で鉱山を経営し、次男は漢方医療による診療所を経営しています。白さんの9人の子供はすべて結婚し、いずれも子供がいます。そして9人の子供たちがお金を出し合い、両親のために今の住宅を建てたのです。

  白さんはこれについて微笑みながら、「暮らしが本当によくなったのは改革開放後のこと。私は土地を請け負い、それによって収入が増えた。子供はすべて学校に通い、卒業した後仕事についた。そして今では毎月、それぞれ収入の一部を私の生活費として出してくれている。もちろん、私はまだ働くことが出来るが、子供たちのおかげで楽に暮らしている」と語りました。

 白さんは、老後の暮らしには困らないにもかかわらず、相変わらず、毎朝早起きし、家の畑に行っています。白さんにとって、家で息子や孫たちとシポ語を使って暮らすことはとても楽しいのです。つまり、シポ族の人々は教育を非常に重視し、自分たち民族の言葉と文字を使うようにしているのです。このほど、白さんは先祖の出身地である東北の瀋陽を訪れてきました。白さんは、瀋陽を訪れたことを通じて、自分たちの民族の文化を受け継ぎ、それを広げていく重要性をつくづく感じたといっています。白さんは

 「今年、東北地方を20日間ぐらい回った。でも瀋陽地方ではみな標準語を話し、シポ語を話せる人は一人もいなかった。それに比べ、今の私の住んでいるところではどの家庭の子供も家ではシポ語を話し、外では標準語を使っている。もし、その民族の言葉と文字がなくなったら、その民族もなくなってしまうだろう。現在、地元の学校ではシポ語を使って授業するよう提唱されている」と語ってくれました。

 ところで新疆地方に集まり住んでいるシポ族の人々と同じように、白さんの住むところでも、毎年シポ族の祝日「西遷祭り」があります。この「西遷」とは西に移るという意味ですが、いまから245年前の1764年、約4000人のシポ族の将兵が、清の乾隆帝から国境の守りに着くよう命じられました。ですから彼らは暮らしていくためにも新疆地方に移り、土地開発を始めたのです。そして故里である瀋陽を離れる前、将兵たちは旧暦の4月18日に、瀋陽にあったシポ族のお寺で故里の人々とお別れの式を行ったのです。のちにこれら将兵たちの祖国を愛し、犠牲を恐れず、西域、つまり新疆地方に移っていったことを記念するため、シポ族の人々はこの日を「西遷祭り」に定めました。

 もちろん、毎年この日になるとシポ族の人々は歌や踊りを始め、武芸比べや弓矢試合など豊富多彩なイベントを行います。そして、どの家も、子孫のために「喜利ママ」という守り神を掛けます。この「喜利ママ」は、実は長さ6メートルある長い縄に小さな弓、矢と弓袋、靴、揺りかご、銅銭、布、木で作ったシャベルなどを結びつけたものです。そして弓は男の子、布は女の子を象徴し、揺りかごと靴は子孫、銅銭は豊かな暮らし、シャベルは農業の豊作などを表しているのです。

 白さんの話によれば、毎年『西遷祭り』になると、一家が団欒できるので、それは楽しい雰囲気に満ち溢れます。またこの日に、昔のことを話して、子供たちを教育に、自分たち民族の優れた伝統を受け継ぐよう諭すのです。そして、子供や孫に家の『喜利ママ』を見せます。東北から移ってきた時以後の家系図を持つ白さんの家では、この日、その家系図を出して子供や孫たちに先祖の名前を覚えさせてきたということです。

 シポ族は客好きな民族です。白さんは、息子さんの嫁さんに、訪ねてきた記者のために、シポ族特有の伝統的な家庭料理を作らせました。それにはシポ族特有の、小麦粉を水でこねて丸く作りあぶった「シボ餅(ビン)」というもの、韮やピーマン、ニンジン、キャベツなど色鮮やかな野菜で作った漬物『花花菜』、中国の東北地方でよく食べられる『韮菜合子(ジウツァイホーズ)』、これは韮などを具にしたやや大きな餃子の形のものを平たくして、フライパンで油で両面きつね色に焼いたものです。それからカボチャを具にした餃子と地元のウイグル族と同じように、寧夏地方伝統的な地方料理『手抓羊肉』も出ました。この料理は、羊肉を1キロくらいの大きさで切り分けて、塩、山椒、八角、桂皮などの調味料を加え、長い時間をかけて煮込んだので、出来上がった肉は思ったよりもさっぱりして柔らかく、主には手で肉をちぎり。 醤油とお酢、葱、大蒜とラー油でできたタレにつけて食べるのです。

 記者は白さん一家が心を込めて作ってくれたおいしい料理を味わいながら、シポ族の音楽にあわせ、歌ったり踊ったりして、楽しいひと時を過ごしました。

 白さんの家を離れるとき、白さん一家の人たちは、私たちと握手して別れを惜しみ、見送ってくれました。そしてもうここまででいいと分かれた後、記者はしばらく振り返えると、白さん一家はまだ手を振っていたのです。これを見て記者はシポ族の子供の守り神『喜利ママ』のことが頭に浮かんできました。実は「喜利」(シーリー)とはシポ語では続けていく、跡を継ぐという意味だったのです。(翻訳:トウエンカ)

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