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兵馬俑

2009-04-23 09:25:15     cri    

 今日ご紹介するのは、中国陝西省にある始皇陵秦俑坑です。兵馬俑という名前で世界的に知られています。

 紀元前221年、中国は秦によって統一され、秦の初代皇帝・始皇帝の墓である「秦の始皇帝陵」が、現在の西安市の郊外に作られました。周囲およそ6.2キロ、高さ76メートルもあり、巨大な規模を誇っています。始皇帝は自らの墓のために、38年の歳月と70万もの人々を動員し、生前に完成させたと言われています。墓を作るのに参加した職人たちも最後には殉死、つまり死を命じられたため、始皇帝陵は誰にも知られることなく2000年もの間、地下に眠ったままとなりました。

 ところが1974年3月のこと、そのときまったく雨が降らず、干ばつに見舞われ困り果てた地元の農民が、井戸を掘り始めました。すると2、3メートル掘ったところで、見たこともない陶器の破片が見つかりました。考古学者が鑑定したところ、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることがわかりました。その後、発掘作業が始まりました。坑は発掘の順序に基づき一合坑、二号坑、三号坑と名づけられました。

 規模が最も大きい一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートルもあります。総面積は実に14260平方メートル、兵馬俑の数はおよそ六千体に達します。二号坑は6000平方メートル、兵馬俑の数は千体余り、そして三号坑は500平方メートル、兵馬俑はわずか58体に過ぎず、規模は一番小さいものの、埋葬されたのは地下軍の司令部に当たります。今でも一号坑は発掘作業が続けられていますが、中は土でできた塀の「土塀(どべい)」によって区切られ、上に丸太を渡し、その上にゴザをかけ、さらに2メートルの土で覆われています。兵馬俑は実際の軍のように、前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を成しています。兵馬俑のうち兵士をかたちどった兵隊俑は、高さが平均180センチ、上半身は空洞ですが下半身は空洞ではありません。顔の表情はそれぞれ異なりますが、いずれも手に武器を握っています。一部の兵隊俑にはまだ色が残っています。一方、馬をかたちどった馬俑は高さは1.5メートルで、現在のキルギスとウズベクスタンの国境あたりの存在した国・大宛の馬に似て、足が速いと言われています。兵馬俑は近くの粘土を材料にして、彫刻などを施し、最後に窯で焼いて作られました。殉死制度のあった時代に、人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、文明の進歩を窺う知ることができます。

 井戸掘りをした農民により、2000年の眠りから覚めた兵馬俑は、発見から13年後の1987年、世界遺産に登録されました。(文:シュ コウ)

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