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中国石刻芸術宝庫の一つ――雲岡石窟

2009-03-12 14:55:01     cri    

 雲岡石窟は中国北部山西省大同市西部16kmのところにある武周山の南麓に位置しています。石窟は北魏興安二年(453年)から開削し始められ、大部分の石窟は北魏がその都を洛陽に移す前に(494年)完成し、石仏の彫刻は正興時期(520年から525年まで)続けられました。石窟は山に沿って開削されたもので、東西に延々約1km伸びています。その気勢は雄壮で、彫刻の内容は豊富多彩です。現存された主な洞窟は45ヵ所、大小仏壇は252ヵ所、石仏は5100体を超え、その内、最大の石仏は高さが17mです。洞窟には菩薩、力士、飛天の姿が生き生きとしています。仏塔の柱の彫刻は精巧に施し、秦、漢時代(紀元前の221年から紀元220年まで)の現実主義的芸術の風格を引き継ぎ、また、隋、唐時代(581から907年まで)のロマン主義のものを切り開き、甘粛省の敦煌の莫高窟、河南省の竜門石窟と共に『中国の三大石窟群』と呼ばれ、世界にもよく知られた有名な石刻芸術の宝庫の一つでもあります。

 開削の時期を見ると、早期、中期、後期に分けられ、異なる時期の石窟の石仏はそれぞれの特徴を持っていました。早期の『曇曜五窟』は、最初に著名な僧侶曇曜の指揮の下で、彫刻されたものです。道武帝以後の北魏時代の五人の皇帝の容貌に基づいて真似にして作ったの『曇曜五窟』の気勢は、壮観で、純真、質朴の西域の情緒を持ちました。曇曜5窟は、いずれもほぼ楕円形(だえんけい)のプラン(平面)にドーム状の頂部をもつ窟構造で、北壁に仏立像、仏座像、菩薩交脚像など巨大な主尊がほりだされています。最大の石窟は第19洞で、高さ16.8mの座仏本尊、周壁の千仏、左右の脇侍(きょうじ)仏がある脇洞よりなります。本尊座像は右手を胸前にかかげ、左手を膝(ひざ)の上において衣端をとる姿勢です。顔部はあごを欠くが、頭部、体躯(たいく)ともにがっしりしたモデリングで、大きな耳、切れ長の目などいかにもたくましく、その量感溢れる造形は雲岡初期様式を代表すると言えます。 中期の石窟は精巧に施し、細かく彫刻され、その装飾の模様は華麗で、北魏時代の芸術風格を示しました。後期の石窟の規模は小さいであるが、石仏の姿勢は痩せ、全身の比例が均衡がとれ、中国北方の石窟芸術の手本です。このほか、石窟で現存された音楽をしたり、踊りをしたり、また、雑技をしたりした人物の彫刻も当時流行された仏教思想の体現であり、北魏時代の社会生活の反映でもあります。

 雲岡石窟は、インドおよび中央アジアの仏教芸術が中国の仏教芸術に発展させる歴史を記録し、仏教の石仏が中国の民族的特徴を反映しています。各種の仏教芸術の石仏は雲岡石窟で仏教芸術を集大成したものとなったから、形成された『雲岡パターン』は、中国の仏教芸術発展の転換点となりました。敦煌莫高窟や竜門石窟の中の北魏時代の石仏は、いずれもある程度で、雲岡石窟の影響を受けました。

 雲岡石窟は、中国の特徴を持つ石窟芸術の始まりです。中期の石窟にある中国の宮殿式建築彫刻及びこれを基礎に発展してきた中国の特徴を持つ仏像壇は、後の世紀に、石窟寺の建造で幅広く活用されました。後期の石窟の全体の配置と装飾模様は、濃厚な中国式の建築と装飾風格をよりよく展示し、仏教芸術の『中国化』の一層の深化を反映しました。

 雲岡石窟は、2001年12月、ユネスコによって『世界の文化と自然遺産リスト』に登録されました。世界遺産委員会は、「山西省の大同市にある雲岡石窟は、5世紀から6世紀にかけた中国の優れた仏教石窟芸術を代表した。その中、『曇曜五窟』の配置や設計は厳密で、中国仏教芸術の経典的傑作だ」と評価しました。

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