「イキイキ中国」、吉野さんとのコンビ、これで最後!吉野さんは2008年にCRIで働くようになって、最初は原稿のチェックから入ったんですがそのうち番組制作にも携わるようになった。これまでの番組で最も印象に残った内容とか話題、テーマはいろいろありますけれども、人をインタビューする「百人百色」のコーナーでたくさんの方のお話を聞いたことをよく覚えている。<チャイナライフ>、吉野さんとコンビを組む最終回ですから、中国で生きる日本人、吉野綾子さんのチャイナライフ、北京暮らしにスポットを当ててご紹介します。
岩手県で高校まで過ごした吉野綾子さん。田舎での生活に満足しなかった吉野さんは京都の大学に進学。ここで考古学や重要文化財の保護について学びます。しかし卒業時の就職状況は厳しく、思い悩んだ挙句にある貴金属会社に就職。ここで京都を離れ東京勤務となります。それから9年を東京で過ごし、日本語教師の資格をとって2005年に北京にやってきました。
★ 中国に来るきっかけ?
ちょうど30歳を過ぎた頃から、本当に自分のことが客観的に見られるようになってきたんです。20代の頃は、まわりの空気に流されて安定した人生を送らなければならないと思っていたんですが、結婚する予定もなくキャリアにもあまり興味がもてなかったので、何かしてみたいことあるかなーと考えてみたら「海外で暮らしてみたい」と思ったんです。どこにでも行ける時代だし、なんといっても日本人はビザがとりやすいですから。
★ 中国に着いた最初の日、まだ覚えている。
覚えてますよ。友人も知人もいなかったので、頼りになるのは空港で待っているはずの日本語学校の職員のみ。しかも中国の方だったので、コミュニケーションができるかどうか不安でした。
★ 実際に来られて、自分の想像と違ったことがありますか。
実は1990年代に中国へは来たことがあったので、その時のイメージが残ってました。ただその時とはあまりにも街の様子が異なっているのに驚きました。それほど日本と異なる風景とは思いませんでした。
★ 最初のお仕事は何ですか?
日本語教師です。日本に留学を希望している10代の子や、日系企業への就職を希望するビジネスマンたちが通ってました。一日5コマを授業をしました。毎日授業の準備に追われて1年なんてあっという間に過ぎてしまいました。どこにもでかける余裕なんてありませんでした。
★ 異国での暮らしとお仕事、困ったり悩んだりすることがありますか。例えば?
一番最初に壁にぶつかったのは、転職して日系企業に勤めた時です。私のほかは全て中国人スタッフという環境でした。3人の部下をつけてもらったんですが、最初は彼らにどう接していいかわかりませんでした。ある時、会議で担当者の仕事の仕方について意見したところ、それが気に入らなかったらしくM会議後はずっと無視されました。今思えば、いわゆる「面子を傷つけた」ってことになるんですね。中国の方にとってこれは非常に大切なことですから、これ以降は対応を変え、うまくいきました。
★ 中国で何年間仕事なさいましたか。振り返ってみると、中国での暮らしによって、自分に何か変わったことがありますか。変わっていないことがありますか。それぞれは何ですか。
1. 変わったこと
中国生活7年目になりましたが、まずは全てにおいて自己責任というものを意識するようになりました。物事に対して期待せず、何か起きてもあまりあわてないようになりました。日本にいるとサービスがすごいので、自分は何も考えずに物事が運んでいく場合がありますが、中国ではこうはいきません。
2. 変わらないこと
ずばり、食生活です。中華料理に慣れるかと思いきや、ほとんど自炊していますので、味噌汁にご飯という定番の日本食を食べています。これは変わりませんでしたね。
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