無錫市婦人連合、無錫放送グループなどが共催する「無錫母親ベストテン」活動が今年3月、中国南部の都市・無錫で行われました。この活動にはおよそ100万人が参加し、母親の愛を讃えた多くの物語が市民の心を打ちました。そこで、今日のこの時間はこの中で取り上げられた梁元倩さんという母親の物語をご紹介しましょう。
梁元倩さんは無錫国綿三場という紡績工場に勤めていました。1986年に孫志さんと結婚し、1年後、可愛い男の子が生まれました。梁さんは息子が一生平安無事であることを願って、彼に孫靖と言う名前をつけました。孫靖の靖は中国語で安らか、穏やかという意味です。
しかし、息子が3才になった時、梁元倩さんは息子の耳が何も聞こえないのに気がつきました。梁さんは急いで息子を病院につれて診察を受けさせましたが、神経性聴覚障害と診断されました。その後、夫婦2人は、一年かけて子供をつれて全国各地の有名な病院と専門家を訪れましたが、息子の耳は少しも良くなりませんでした。梁さんの義理の父は孫の病気が治らないことを知り、大きなショックを受け、脳溢血で半身不随になりました。梁さん一家の暮らしは急に悲惨な状態になりました。
息子と義理の父の面倒を見るため、梁さんはためらうことなく仕事を辞めました。その当時、上海のある専門家が梁さんによいことを教えてくれました。それは、耳の不自由の子供にとって4才から7才までの間は、残りの聴力で話す能力を身につける最もいい時期だというのです。これを受けて、梁さんはローマ字表記の発音から息子の話す力の訓練を始めました。
「ローマ字表記の発音を教えた時、他の子供にとってすごく簡単な発音が息子にはどうしてもできませんでした。私は繰り返し繰り返し彼に教えました。一つの発音を少なくとも100回以上教えると、少しずつできるようになりました」
2年わたる厳しい訓練によって、梁さんの息子・孫靖ちゃんはローマ字表記の発音を身につけただけでなく、100あまりの漢字を読めるようになり、更に簡単な会話もできるようになりました。孫靖ちゃんが始めて梁元倩さんに「ママ」と声をかけた時、彼女はたいへん感動し、嬉し泣きしました。
また、子供の勉強を手伝うため、梁さんは昼間、息子と共に学校で授業を受けました。そして夜、家に帰った後、義理の父の世話をしたり、息子の復習を手伝ったりして、とても苦労しました。
11才の時、孫靖ちゃんの絵が学校の書画コンクールで3位を獲得し、その後、彼は絵画の才能を見せ始めました。梁さんと夫は息子の才能を伸ばすため、学校以外の絵画教室に通わせて、息子のために美術のドアを開きました。美術の世界に入ってから、孫靖ちゃんの性格は明るくなり、自信が溢れるようになりました。彼の作品は全国中学生書画コンクールで絵画の最優秀賞を三年連続して獲得し、書道の作品も二等賞に輝いています。
梁さんは今、息子がこんなに素晴らしい成果を挙げたことを誇りに思っています。梁さんは「私は息子のために多くのことを失い、仕事も辞めましたが、息子の今の姿を見て、とても幸せだと思います」
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