雲南・昆明の聶耳旧居を尋ねる
「義勇軍進行曲」は新中国の国歌です。この歌を作曲したのは、中国の作曲家・聶耳です。今年は聶耳の生誕100年を迎えています。今日の番組では、雲南省昆明市にある聶耳の旧居をご紹介します。
聶耳の旧居は、昆明市五華区甬道街73番地と74番地です。1902年、聶耳の父・聶鴻儀は、昆明市にほど近い玉渓から昆明に出て来て、甬道街73番地と74番地を借り、漢方の薬を売る店・「成春堂」をはじめました。当時、聶鴻儀一家は、大家さんの家に間借する形でこの場所に住んでいました。土と木材で作られた2階建ての家で聶耳は生まれたのです。
聶耳の本名は、聶守信といいます。ですが大変音に対して敏感で耳が良かったことから耳を意味する「聶耳」と呼ばれ、それをそのままペンネームとしたそうです。1912年、雲南省昆明市に生まれた聶耳の人生はあまりにも短いものでした。1935年7月1日、日本の神奈川県藤沢市にある鵠沼海岸(くげぬま)海岸で海水浴を楽しんでいましたが、そのまま行方不明になり、翌日、変わり果てた姿で発見されました。わずか23歳の若い死でした。この短い生涯の中で聶耳は「義勇軍進行曲」、「大陸歌」、「卒業歌」など30以上の歌を作曲しました。この中から「義勇軍進行曲」が新中国の国歌に指定されたのです。
今年は聶耳生誕100周年。聶耳の姪で雲南民族映画製作所の作曲家、聶麗華さんは、息子と一緒に新たに修復された聶耳の旧居を訪ねました。聶麗華さんはこの建物の2階に上って、記憶の中にあった光景を実際に目の前にして、感無量の様子です。部屋に置かれたベッドについて、聶麗華さんは次のように話してくれました。
「これは祖母が聶耳を産んだ時のベッドです。私と姉もこのベッドに寝たことがあります。このベッドの下にタンスがあり、子どもが1人ぐらい入れます。小さい頃かくれんぼして、よくこのタンスの中に隠れたものです。新中国が成立してから、このベッドを現地政府に寄付するまで、祖母はずっと大事にしていました。祖母は末っ子の聶耳を特に可愛がっていたので、聶耳が遠い日本で亡くなった後もずっと聶耳を偲んでいました」
聶麗華さんの息子さんも、この旧居を見学した感想を語ってくれました。
「聶耳の三代目の親戚として、小さい頃から成春堂薬局、聶耳の話を良く聞いていました。母は聶耳の遺品を通じて聶耳の人生に触れ、音楽の道を選びました。聶耳の人生から大きな影響を受けたんです。この旧居は、小さいですが、当時の遺品は大変貴重なものだと思います。これからこの旧居の保護や整備のために協力したいと思っています」
この旧居について聶麗華さんは、次のように紹介してくれました。
「聶耳は勉強のため18の時に昆明を出て、上海へ行きました。結局そのままここに帰ることはありませんでした。ここは借家だったので、聶耳が家を離れた後、家族はほかのところに引越しました。新中国成立後に聶耳の旧居として人々に知られるようになったのです。音楽界の関係者や外国の方々と一緒に来たこともあります」……(任春生)
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