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12月9日 中国の旅

2011-12-09 15:28:54     cri    

大夏国の都の遺跡を訪ねる






















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 陝西省楡林市靖辺県北部に、モウス砂漠があります。砂漠の風景をつくっているのは砂、沙柳、胡楊(コトカケヤナギ)などです。この砂漠の中に、かつてその名を天下にとどろかせた城の遺跡が残っています。歴史上、王朝は幾度も変わりましたが、この遺跡は変わることなく今も砂漠に聳え立っています。その遺跡とは、統万城です。ここは紀元5世紀に、中国北方地域に住んでいた少数民族匈奴が樹立した国、大夏国の都でした。中国の歴史上、保存状態がよい遺跡です。もっとも強固な城壁を持つ、大規模な少数民族の都とされています。今日の番組では、1000年の年月を経た大夏国の都の遺跡、統万城をご紹介します。

 このほど、中国国際放送局の記者は車で統万城に向かいました。モウス砂漠に沿って、無定河を越え、神秘的な紅柳峡谷を通り抜けます。しばらく行くと白い城壁が目の前に現れました。これが統万城です。統万城遺跡の保護活動に従事している張晴晴さんによりますと、この城の建築は413年に始まり、5年間の歳月をかけて完成したそうです。すでに1600年の歳月が流れています。完成した当時の統万城は、面積が広く、城の内部にも3重の城がありました。古代に匈奴という民族が残した唯一の城郭のある城です。当時、このような大夏国をつくったのは、匈奴のリーダー、ヘレンボボです。彼がこの都の名前を統万城にしました。統万城は、すべての小国を統一するという意味です。

 統万城について、張晴晴さんは次のように紹介してくれました。

 「統万城の西の部分は、面積が37万平方メートルあります。東の部分は役所が置かれた場所です。役所からさらに東に行くと、外郭の城があり、百姓が住んでいた場所です。古代の書物の記載によると、統万城の中には建物が非常に多く、秦の時代の都・咸陽、隋、唐の大都市洛陽に匹敵するということです」

 中国の歴史上、城の城壁はそれぞれ異なる色が塗られていました。西安の城壁の色は灰色で、北京の紫禁城の城壁の色は、赤です。そして統万城の城壁は白です。白い城壁は、数ある城壁の中でも稀です。そしてこの城壁は非常に硬くつくられています。一体なぜでしょうか。2002年6月、陝西省考古研究所の刑福来副研究員をはじめとする発掘チームは、統万城の調査を行い、城壁の色がなぜ白いのか、城壁がなぜ硬いのかなどの謎を解き明かしました。刑福来副研究員の話です。

 「統万城は砂漠に建っています。城壁の下のつき固めた土地の成分を分析した結果、成分に白い粘土、沙などがあることがわかりました。これらの建材はこの近くから調達されたものだと思います」

 1600年前、労働者たちは白い粘土、沙、石灰、ご飯の煮汁を混ぜてレンガを作り、この城を築きました。この建築工法は後の時代にほかのところでも使われましたが、統万城はこの工法が始めて使用された城です。つき固めた土地について、刑福来副研究員は、「この土は密度が高くて、非常に固いんです。現地の人たちの間では、この土で包丁を磨くこともできると言われているほどです」と述べました……(任春生)

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