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11月11日 中国の旅

2011-11-11 19:21:57     cri    






















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 1000年の歴史を持つ広州市の繁華街、北京路

 広東省の省都、広州市には北京路という歩行者天国があります。北京路は広州市では、だれもが知っている最大の繁華街です。朝から晩まで買い物客、そして観光客で賑わっています。ここはびっしりと店舗が林立し、観光客や地元の人が買い物を楽しむ場所ではありますが、その歴史はすでに1000年もあります。南部の商業文化を有する街でもあるのです。今日は、この1000年の商業文化の街、北京路をご紹介します。

 1000年も続く北京路は、広州市民にとって、どのような場所なのでしょうか。広州市民に聞いてみました。

 市民の王さん「北京路は広州を代表しています。小さい頃は『なにか買う』となると、必ず北京路に行ったもんです」

 市民の張さん「この周辺は広州で生まれ育った人々が住んでいる地域という印象があります」

 北京路は商店街でありながら、広州の歴史を語る博物館でもあります。この付近には、千年御苑、千年船台、千年の道、千年の水門、千年の寺など歴史の産物がたくさん残されています。古い建物、古い街道には、様々な物語が生まれました。例えば、先賢里ではどんな偉人が生まれたのか、双門楼は何人の将軍を輩出したのか、九曜園で、職人たちはどうやって漢方薬を作っていたのかなどなど、調べれば調べるほど、面白い話が出てきます。また、変わった名前の地名もあります。猫犬街、漬けた魚街、海鮮味街などです。そのルーツを探っていけば、一冊の厚い本が書けるでしょう。

北京路を歩くのはまるで広州の歴史を旅しているかのようです。これについて、現地の民俗研究者の葉偉華さんは次のように語りました。

「北京路の広東省財政庁あたりは南越国の時代からすでに役所でした。後漢の時代、北京路の一部は政府専用の道でした。その後時代の変遷や王朝の交代と共に、北京路の名前も変化していきました。中華民国の時代、1920年に、北京路の拡張工事が始まり、永漢路と命名されました。その後、中華民国の創設者の一人である胡漢民を記念するため、永漢路は漢民路と改名されました。1949年、新中国が成立すると再び、永漢路という、元の名前に戻り、1966年に北京路となり、今日に至っています」

 北京路には店舗がたくさん並んでいます。中には100年ほど続く老舗もあります。李占記という腕時計屋もそのうちの一つです。この店は、中華老文号、つまり、中国の老舗という名称を国からも授けられています。この老舗は北京路の変遷とともに発展してきました。これについて、李占記の副社長、陳恵萍さんは次のように話してくれました。

 「弊社のような老舗が北京路の変遷を立証しています。北京路は、昔、南方地域の独特な建築スタイル、騎楼と呼ばれる建物、つまり二階から上が歩道の上に突き出てアーケード状になった建物が並んでいました。昔は歩道橋もあったんですが、今はその姿を見ることはできませんね。逆に今は整備された歩行者天国となっています」

 李占記という老舗は北京路とともに100年の歴史を歩んできました。昔ここで修理を受けた腕時計、また修理用の機械などは今広州博物館に収蔵されています……(任春生)

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