中野良子は1950年生まれの日本女性で、有名な女優です。日本の映画『君よ、憤怒の河を渉れ』の中で「真由美」という主人公を演じました。中日の民間交流の友好大使と言われています。
当選理由:
1979年、中野さんが主人公の真由美を演じた映画『君よ、憤怒の河を渉れ』は中国で上映され、「真由美」という名前が中国に知れ渡りました。その後の30年間、中野さんは中日両国間で平和な使者の役を演じ、中国に数多くの足跡を残しました。
中国との縁:
1979年、日本の映画『君よ、憤怒の河を渉れ』は中国で大きなセンセーションを巻き起こしました。主人公の真由美という役を演じた中野良子さんは、中国人なら誰もが知っている役者となりました。「真由美」という役は中野さんと中国に切っても切れない縁を結びました。
30年来、中野さんは50回余り中国を訪問しました。都市部から農村部まで、内陸から辺境まで、中国のいたるところに足跡を残しました。中国辺境の少数民族の地区でドラマを撮影したり、南京大虐殺記念館で平和の樹を植えたこともあります。秦皇島では200万円の貯蓄をおろして「中野良子小学校」を建てました。59歳の中野さんは現在も中日交流の場で活躍しています。
中野さんは中国に来て初めて、アジアがこんなに広いのだと感じたそうです。しかし、アジアの民間交流はそれほど盛んではありません。中野さんはあちこちで文化と人間や中日友好などのテーマの講演をしました。戦後生まれで、中日戦争の歴史についてほとんど知らない中野さんは骨身を惜しまず研究しました。日本の各地で、戦争に関しての資料を集め、中国で、戦争を体験したことのある中国の軍人に戦争について教えてもらいました。1986年、国連国際平和年に、招かれて中国各地の戦争記念館を見学しました。
中野さんは中国で文化交流活動に参加する以外に、上海交通大学で一ヶ月中国語を勉強したこともあります。1995年、自分の貯蓄を200万円を使い、秦皇島に小学校を建てました。現在の中野さんはもうひとつの夢を持っています。それは、中国で日中文化交流会館を建てるということです。両国民はお互いに相手のことをよく理解しなかったため戦争のような悲しい事が発生したのだと中野さんは思っています。自分の努力を通じて両国民の理解を深めたい、日中両国の経済、政治及び両国民の日常生活に役に立ちたい、そして両国民がお互いに理解したうえで世世代代友好的に付き合ってほしいと願っています。
現在、ますます多くの日本人が中野さんの仕事を理解し始めています。家族と友人たちに限らず、時には、偶然道で出会ったトラックの運転手が中野さんに二、三万円を渡し、「学習の用品を買って中国の子供にあげてください」と頼まれたこともあります。また両国間の貿易の増加につれて、ますます多くの中日合弁企業が異文化コミュニケーションの問題について中野さんにいろいろアドバイスを求めています。こんなにたくさんの仕事のために、中野さんはしばらく自分の大好きな旅行をあきらめざるを得ない状況ですが、中野さんは後悔していません。日中友好を深めることを大切に思っています。
時の人になり始めた時に引退し、名誉と利益を得たスターの地位を捨て、30年間にわたってあちこち奔走することについて「日本で自分のような役者は大勢います。しかし、自分のように30年前から文化交流活動に、特に日中文化交流に身を投じた日本人は多くない」と中野さんは語りました。
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