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テンバーケン:チベット自治区で盲目の子供たちに点字教育

2009-11-25 11:56:35     cri    

 スーザン・サブリエ・テンバーケン、ドイツ出身、1970年生まれ、視覚障害者、中国政府やドイツからの表彰。

 入選理由:

 自らが目の不自由な身でありながら、中国のチベットを訪れ、チベット身体障害者連合会と協力、彼女自身で創り出したチベット語の点字でチベットの子供たちに教えるため、視覚障害者回復および訓練センターを創立しました。この学校で8年間、百人以上の目の不自由な子供たちに生活の仕方とチベット語、中国標準語、英語の3種類の点字基礎教育を実施しました。チベットにいる目の不自由な人たちに大きな貢献をしました。2006年中国政府は彼女に「友誼賞」を与えることにしました。

 中国との縁:

 テンバーケンは出生時より強い視覚障害を負い、先天的な進行性の網膜退化のため12歳で完全失明しました。両親は、彼女を目の見える子供と同じように扱い、急流の中でカヌーを漕がせ、スキーも教えた。「どんな人でもできないことが必ずある、最も重要なのは自分の能力の限界を発見し、限界まで発揮すること」と両親は彼女に教えました。

 高校卒業後、彼女は大学に入り、専攻はモンゴル語、中国語、古代と現代のチベット語でした。当時チベット語の点字がなかったため、彼女は世界に唯一の点字チベット語を発明しました。

 彼女は旅行が好きので、1997年、彼女はやっとの思いでチベットに訪れました。チベットでは太陽の輻射が強いため、目の病気の発病率が高く、チベット高原には失明者が多いのです。チベットの人たちは盲目になるのは前世で悪事をはたらいたため、天罰を受けたと思い込んでいます。盲目の子供たちがベッドに縛られ、人目から隠され、物乞いにだされるのを知って、彼女は盲学校を創ろうと思い立ちました。「知識に飢え、好奇心にあふれる子供たちを支援して強くしたい」と思い、正しい技術と方法を使えば、自分の前に全世界が開かれることを、同じ目の不自由な彼女はよく知っているからです。

 「無国境の点字チベット語」は光に追いつくための足跡

 こうして、テンバーケンはチベットのラサで学校の準備を始めました。友達のポールに盲学校を創立したい考えを打ちあげると、彼はすぐさま、仕事をやめ、サラに来ました。二人はさまざまな困難を乗り越え、1998年3月、サラで盲学校訓練センターが設立されました。このセンターの名は「無国境の点字チベット語」となり、意味は「国境なし、限界なし」です。

 始めのころ、センターは教師一人、学生6人しかいなかったのです。彼女は先生を教えながら、学生に授業をしていました。ポールは技術や事務を担当していた。生徒の年齢に合わせて、さまざまな教え方を考えていました。

 どんなことでも始めは難しいが学校の運営資金はもっとも大きな問題でした。テンバーケンは彼女と学生たちの物語『私のチベット旅』という本を書き、出版しました。この費用で学校の運営を支えていました。

 テンバーケンはとても明るい人なので、特に彼女は学生の話をしだすと、止まらないほど話していました。この盲学校は今まで約100人ほどの学生が勉強しました。その上、利益を享受したはこれらの生徒だけではなかったのです。彼らの盲学校は全く新しいスタイルだったので、このスタイルは中国国内、他の地域の人々に参考されています。(訳:帥)

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