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金昶伯:鬼コーチと呼ばれる金昶伯監督

2009-11-25 15:05:31     cri    

 金昶伯(キム・チャンハク) 韓国人 1955年生まれ 

 1999年から2008年にかけて中国女子ホッケー国家代表チームの監督に就任した。2008年の北京オリンピックでは金監督の率いたチームが銀メダルに輝いた成績を残している。

 入選理由:

 韓国出身の金昶伯監督は中国女子ホッケーの事業に必死にその10年間を捧げ、中国で最も長く監督を勤めている外国人である。金昶伯が監督に就任して以来、中国女子ホッケーチームを注目される存在に押し上げ、技術レベルが非常に目覚ましい成果をあげただけでなく、ワールド大会で良い成績を取った。2008年北京五輪の銀メダルは歴史的な成績だったが、金監督は金メダルを取れず遺憾の念にたえなかった。

 金昶伯監督は女子ホッケーチーム隊員に対し、典型的な韓国人ならではの厳しさ。だから、彼はよく鬼コーチと呼ばれている。しかし、金監督は自分ではそうは思わない。彼は訓練中の厳しさあっての実績という趣旨で指導している。この数年間、女子ホッケーの隊員らは金監督が教えた理念と技術を学んだうえ、自分を厳しくするべきだということがよく分かった。以前、女子ホッケーの訓練時間は一日3時間に達しなかったが、彼が就任してから、一日の訓練を3回に分けて、一回は6時間になって、夜にも1時間半の体力訓練が増えた。トレーニングが急に大量に増えたため、一週間も経っていないのに、隊員らは相次いで過労で倒れた。訓練を受けたくない人さえいた。それに対し、金監督は「私なりの方法でチームを指導するべきだ。絶対良い成績を出してみせる」と述べた。しかし金監督に人は優しいところもある。それは、金監督は隊員らを娘のように世話してよく自分でスープを作ってあげていたということだ。

 中国で監督に就任してから一年後、金監督は家族と共に北京に移り住み、長男と娘は清華大学に入学した。彼のコーチ生活は中国で終わりにしたいというつもりだ。彼はもう中国に慣れ、特に中国のお酒がとても好きらしい。

 四川大地震の時、金監督はチームを率いてドイツでチャンピオンズカップに参加していたが、帰国の後、早速自分の貯金から三分の一を寄付した。

 1999年中国女子ホッケーを率いて初めて出場資格を取った。

 2000年シドニー五輪で5位。

 2001年チャンピオンオンズカップで4位。

 2002年チャンピオンオンズカップのチャンピオンを獲得。

 2002年アジア大会のチャンピオンを獲得。

 2002年ワールド大会のチャンピオンを獲得。

 2003年チャンピオンオンズカップで2位。

 2004年チャンピオンオンズカップで5位。

 2008年北京五輪で銀メダルを獲得。

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