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ノルマン・べチューン:カナダ人の有名な外科医でカナダ共産党党員

2009-11-25 10:02:13     cri    

ノーマン・ベチューン氏の故郷をたずねる

 ノーマン・ベチューンの名前は、中国人にとって馴染み深いはずだ。近頃行われた「十大国際友人」の選出でも1位を取った。このカナダ人の医者は中国人民による抗日戦争に多大な貢献をし、命までも中国に捧げた。数十年来、中国人民はこの英雄を懐かしく思い続けている。それに対し、故郷のカナダの人々は同じようにこの加中の友情に貢献をした一人の医者をまだ覚えているのだろうか。CRIonlineの北アメリカに駐在する記者はカナダのベチューン記念館の関係者にインタビューを行った。

 ベチューン記念館はオンタリオ州グレーブンハーストに位置し、彼の出生地と旧居もここにある。記念館のデビソン館長によると、カナダ政府は1973年にこの住宅を買って、1976年には「ベチューン記念館」として正式に開館した。それから、彼を偲ぶに来る人々が相次ぎ、毎年11000余りの人が来て見学している。実は、来館者の45%は中国人だ。中国は彼が命を落とした場所である。そのため、彼らは故人を偲ぶだけではなく、尊敬の念を持って彼の出生地を訪れているのだ。

 ベチューンはグレーブンハーストの牧師の家庭に生まれ、1916年にトロント大学を卒業した後、安易な生活を放棄、当時の反ファシズム統一戦線に身を投じた。1935年11月、カナダ共産党に入党した。中国の抗日戦争が始まった後、中国人民の解放事業を援助するため、1938年から、ベチューンはカナダ共産党とアメリカ共産党の派遣で、カナダ人とアメリカ人からなる医療隊を率いて、中国の延安に来た。中国にいる間、軍隊の医療活動や戦地救助などの改善に力を注ぎ、医療活動を絶えず行い、2日間にあわせて71回の手術を行ったこともあった。彼は手術中に指を切ったことが原因で敗血症に罹り、1939年11月12日に亡くなった。数十年来、ベチューンの事積は中国人を感動させてきた。

 記念館関係者の張琨は「ベチューンは中加友情の架け橋だ。彼の名前を出すと、中国人たちは「カナダの友人」と言ってくれた」と述べた。デビソン館長も「ベチューンが中国にいたのは二年間という短い間だったが、中加友情に対する貢献は大きい。」また、「中国とカナダの友情は毛沢東主席による『ベチューンを記念する』という文章から発展してきた。あの時から、すべての中国人は彼を知り始めた」と語った。

 ベチューン記念館自身も中加友情の象徴であった。1973年10月、カナダのトルド首相は中国を訪問した間、ベチューンが中国人民に尊敬され、大切にされていることに感動し、政府が彼の旧居を購入し、記念館を建てた。これにより、カナダでもより多くの人々がベチューンのことを知ることになり、1996年、彼の出生地がカナダの国家歴史名勝リストに登録された。デビソン館長は「カナダ放送協会によるカナダ偉人の選出活動で、ベチューンは数百人の候補者の中で、26位になった」と述べた。

 インタビューの中で、デビソン館長は「今年はちょうどベチューンなくなって70年にあたる。時が流れても、中国も、カナダも、すべての世界が彼のような英雄がいたことを忘れない。彼の命日には、中国、カナダのトロントやモントリオール、スペインで記念活動が行われた。「11月12日、ベチューンを記念する国際活動が行われた。この活動はわれわれが発起し、中国人民解放軍石家荘ベチューン医学院やスペイン側も積極的に参与した。われわれは、ベチューンの逝去70周年を記念として、この関わりのある4ヶ所で子供芸術作品を展示するつもりだ。ベチューンに関する記憶はまだ生きている」と述べた。

 デビソン館長がもっとうれしく思ったことは、たくさんの若者がベチューンのことを知りたいと思っていることだ。これによって、記念館の関係者はよりいっそう仕事に対する熱意が湧いてきた。記念館の関係者は皆もっと全面的にありのままのベチューンの姿を教えたい、彼の物語を後世に伝えたいと日々努力している。(翻訳:婉)


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