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サマランチ:どうして私は中国を愛しているのか?

2009-11-25 09:44:57     cri    

 ファン・アントニオ・サマランチ氏はスペインの出身で、国際オリンピック委員会(IOC)の終身名誉会長です。

 入選理由:

 サマランチはずっと中国のスポーツ事業を支え、中国のオリンピック招致を支持しました。彼の中国人民に対しての友情、信頼と強い支持、そして彼と鄧亜萍の間の友情は中国人民を感動させました。

 中国との縁:

 1920年7月17日、サマランチはスペイン・バルセロナの紡績事業家の家に生まれました。1980年から2001年にかけてIOCの会長を務めました。

 サマランチと中国の物語は31年前から始まりました。1978年、改革開放政策を実行したばかりの中国は、まだIOCに復帰していませんでした。同じ年に、当時IOC副会長を務めたサマランチは初めて中国を訪問しました。それから、サマランチは中国のIOC復帰のためにヨーロッパオリンピック委員会を説得にまわりました。一年後、この提案は通過し、中国はIOCに復帰しました。

 「どうして13億人の国が国際オリンピック委員会のメンバーではないのか?私はわからない」、サマランチは述べました。

 1984年、ロサンゼルスオリンピックが行われました。50mフリーピストルを専門とした許海峰は、中国選手として史上初めてオリンピックで金メダルを獲得しました。サマランチは自ら、この金メダルを許海峰の首に掛け、自ら中国初めての金メダルを授与するという中国代表団との約束を果たしてしまいました。

 ロサンゼルスオリンピックの後、サマランチは招請に応じて、中国の建国35年祝典に参加し、鄧小平と会談しました。その後、「中国はそろそろ2000年のオリンピック招致を考えたらどうだろう」と、当時国際オリンピック委員会委員の任に就いていた何振梁に話しました。それをきっかけに、中国はオリンピック招致を決意しました。1990年、サマランチの推薦により、何振梁がIOC副会長に当選しました。

 もう一人サマランチによって運命が変わってしまった中国スポーツ選手がいます。それは鄧亜萍でした。引退した鄧亜萍は、サマランチの推薦により、IOC委員に当選した初めての中国スポーツ選手となりました。

 サマランチは海峡両岸のオリンピックに関する協力にも関心を持っていました。1988年、台湾の呉経国と大陸の何振梁はIOC委員に当選。サマランチは二人を集めて、二人が海峡両岸の平和発展とオリンピックに関する協力に貢献することを期待すると述べました。そのあと、呉経国と何振梁の二人は、北京のオリンピック招致に特別な貢献をしました。特に、2001年、呉経国は台湾省内の巨大なプレッシャーに耐えて、北京に投票しました。北京のオリンピック招致の時、サマランチは重要な役割を果たしました。IOC会長だった彼は投票権がありませんが、「私が退任する前に最大の願いである北京のオリンピック招致を成功させたい。そうすれば、私の人生に悔いはない」と、中国を愛しているサマランチは何度も公式な場で述べました。

 2001年7月13日、北京オリンピックの開催は決定されました。三日後、念願が叶ったサマランチは退任しました。

 北京オリンピックの聖火リレーが始まった後でも、西側諸国から北京オリンピックの出場を拒むという声が聞こえました。サマランチはそのような声に明らかに反対し、「スポーツの世界は素晴らしい。IOCは204の民族から形成される大家族で、仲良くしている。だから、オリンピックは青春、スポーツ、そして平和のお祭りだ。チベットの問題はオリンピックを拒む理由になるはずがない」と述べました。

 また、サマランチは「人権問題について中国を非難する国は、まず自分がしたことを考えべきだ。IOCは政治的な組織ではないので、国家の問題に介入することは控えなければならない」と述べました。

 2008年7月、サマランチは再び中国を訪問し、北京オリンピックの開幕式と競技を見学しました。

 「北京オリンピックで、私は中国国民の友情と愛を感じた。これは、言葉では表現できない気持ちだ。30年の間、私は29回も中国を訪問した。ここで私は愛と友情を手に入れて、尊重ということを理解しました」と、サマランチは述べました。

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