ウィールナ・ガリキ(Verner Gerice 1919—2003)、ドイツ人。中国政府「友誼賞」を獲得。湖北省武漢市の栄誉市民、ドイツ大統領の「大十字勲章」を獲得。
入選理由:ガリキ氏は中国の改革開放以来、最初の外国人工場長です。武漢軽油機工場の工場長を勤める期間中、彼は外国からの先進的な管理技術を導入して、工場を厳しく管理し、武漢軽油機工場の立ち後れていた管理と粗悪な品質を改善しました。
中国との縁:中国の鄧小平は1983年7月8日、「人材の価値を尊敬し、外国からの人材を大胆に起用する」という考え方を打ち出しました。同年8月、中央政府は「外国人専門指導チーム」を創立しました。こうして、65歳のドイツ専門家ウィールナ・ガリキ氏は中国へ来て、中国企業の初めての工場長になりました。
最初の「外国人工場長」武漢で誕生
1984年8月、ドイツの「ドイツ定年専門家組織(SES)」が3人の専門家は派遣して、中国へ来ました。発動機製造・中核技術専門家のウィールナ・ガリキ氏はその中の一人です。ガリキ氏は武漢軽油機工場で4ヵ月間工場を見学し、顧問として工場の業務を指導しました。武漢軽油機工場は10年間の「文化大革命」のせいで、「規律が緩み、管理が混乱、品質が悪く、無駄が多い」という状況になっていました。これに対して、「完全主義者」と自認しているガリキ氏は、「もし私は工場長だったら、こういう情況は絶対許さない」と呟きました。
1984年11月、ガリキ氏は武漢軽油機工場の工場長として雇われ、任期は1984年11月1日から1986年11月4日まででした。中国最初の「外国人工場長」の仕事が始まりました。
ガリキ氏改革の成果
「知識と技術を持ってそのまま墓に入りたくない。中国に何か差し上げたい。中国の農民が同じお金でもっといい農業機械を買えるようにしたい。」-ウィールナ・ガリキ
ガリキ氏は就任後、すぐに大胆な改革に取りかかりました。
品質を高めるために、ガリキ氏は毎日、各作業場を視察しました。
管理職は、仕事の割りに人が多すぎる状態でした。就任したばかりのガリキ氏は職務を果たさない総エンジニアと検査課長を免職し、有能の技術員を品質管理部門の責任者に任命しました。
ガリキ氏の改革で、武漢軽油機工場は変わりました。1986年、軽油機シリンダーの不純物は5600ミリグラムから100ミリグラムに減少し、商品の不合格率は30%~40%から10%以下になりました。製品の耐久時間も3000時間から6000~8000時間に延長しました。製品は東南アジアの7ヵ国にに輸出し、一年間5000台、外貨収入は100万ドル以上になっていました。
1986年5月、ガリキ氏は「在中国永久居住権」を獲得しました。中国へ来る外国人の中で、永久居住権をもらったのはガリキ氏が一人目になります。1986年11月、ガリキ氏は工場長を辞任しました。1987年5月、中華人民共和国教育部はガリキ氏を「武漢大学栄誉教授」に招きました。1987年7月、ドイツ政府は彼に「大十字勲章」を授与しました。1994年、武漢市政府の「黄鶴友誼賞」を獲得しました。
2003年4月17日、ガリキ氏は83歳で、ドイツのミュールハウゼンで亡くなりました。二年後、中国の武漢市とドイツのデュースブルク市で、二つのガリキ氏銅像が建てられました。武漢市の銅像は武漢都市工業園にあります。銘文には、「ウィールナ・ガリキ。1984年から1986年まで、武漢軽油機工場の工場長を勤めた。彼は私心を捨て、仕事のために力を尽くした。彼は大胆に改革し、工場を厳格に管理しました。中国企業の改革のために、中国とドイツの両国人民友好のために、重要な貢献をした……」と掘り込んであります。
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