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ノルマン・べチューン:カナダ人の有名な外科医でカナダ共産党党員

2009-11-25 10:02:13     cri    
 ノルマン・べチューン(Norman Bethune 1890-1939)カナダ人の有名な外科医でカナダ共産党党員。抗日戦争期間、国際医療援助隊隊員として中国を訪れた。

 入選理由:

 中国人なら誰でもドクター・べチューンのことを知っている。それは、毛沢東が彼の著した『ノルマン・べチューンを記念して』という一文で、ドクター・べチューンの中国への貢献を記したからだ。1938年、ドクター・べチューンはカナダ人とアメリカ人からなる医療チームの一員として、抗日戦争中の中国を訪れた。彼は戦争で負傷した者のけがを治し、苦痛を和らげることに尽力し、自らの命も惜しまず治療に当たった。1939年、ドクター・べチューンは自身が病にかかった。健康が著しく悪化して生命が危険にさらされた中でも戦争の最前線で仕事を続けた。その後、病状がさらに悪化して彼は中国の大地で息を引きとった。

 中国との縁:

 ドクター・べチューンは胸腔外科のすぐれた医師として、1935年にアメリカ胸腔外科学会の理事に選ばれた。1935年11月にカナダ共産党に入党し、1936年冬に反ファシズム戦争のボランティアとしてスペインに向かった。中国の抗日戦争が始まった後、1938年3月からカナダ共産党とアメリカ共産党からの派遣で、カナダ人とアメリカ人からなる医療チームを率いて革命の地・延安を訪れた。同年8月、晋察冀地区(現在の山西省、張家口市、河北省一帯)の8路軍の衛生顧問として、負傷した兵士たちの治療に当たり、病院の建設や医師たちの教育に力を入れ、戦争の最前線に出向いて救助活動を行った。負傷者の苦痛を減らし、治癒する確率を高めるために、彼は手術台を戦火に最も近いところに設置していた。1938年11月末、医療チームが山西省の雁北で救助活動を行った際には、48時間連続で71の手術を行った。1939年2月、医療チームを率いて河北省の戦地に向かい、69時間の連続で115人の兵士に手術した。輸血が必要なけが人がいた時、ドクター・べチューンは真っ先に自らの血を提供したこともあった。彼はのちに献血のボランティア団体も立ち上げた。彼は4ヶ月間で1500キロの道のりを移動し、315階の手術を行って1000人以上のけが人を治した。

 また、戦争の環境に適応するために、ドクター・べチューンは数々の発明をした。「薬馱子」とよばれる移動性にすぐれた手術台や、「べチューン籠」とよばれる薬箱がその代表である。1939年7月、ドクター・べチューンは河北省の衛生機関に戻り、医療学校を創った。そして『戦地医療技術』、『模範病院の作り方』など、多くの教材を著し、X線や顕微鏡をはじめとする医療機材を学校に寄与した。

 1939年10月、ドクターべチューンは外科手術の最中に左手の中指を手術ナイフで切り、けがをした。彼はその後、伝染病にかかった患者の手術を行った際に感染し、容態が悪化しても仕事を続けたため、敗血症にかかり、11月12日の夜明け、河北省唐県の黄石口村で帰らぬ人となった。12月1日、延安でドクターべチューンを悼む会が開かれ、毛沢東などが列席した。12月21日、毛沢東は『ノルマン・べチューンを記念して』を著し、中国共産党員がドクター・べチューンの精神を見習うよう呼びかけた。ドクター・べチューンが設立した医学校と病院は、それぞれ「べチューン衛生学校」と「べチューン国際平和病院」に命名された。1952年、ドクター・べチューンの棺は河北省・石家庄市の烈士霊園に納められた。

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