中国の古代科学技術を世界に知らしめたイギリス人です。中国では李約瑟という名前で広く知られています。
李約瑟(Dr.Joseph Needham 1900—1995)、イギリス人、英国皇室学会会員(FRS)、イギリス学士院会員です。
入選理由:
彼は生涯を通じて中国の古代科学技術発展史の研究に尽くし、最終的に完成させた。これは膨大の情報を集めている『中国の科学技術史』(英語:Science and Civilisation in China)であり、世界的に有名になりました。『中国の科学技術史』は世界にとって、中国の科学技術研究にとっても完璧で、かつ深みのあるものであり、もっとも特徴のある研究著作です。
1954年、彼が出版した『中国の科学技術史』の第1巻は漢学会にセンセーションを巻き起こしました。それからの数十年、この著作の続刊は次々と出版されました。『中国の科学技術史』は膨大な歴史資料、説得力のある証拠で、初めて中国の科学技術の歴史を全面的かつ系統的に整理しました。「中国の科学技術が世界に深い影響を及ぼしたことは今まで認識されませんでした」と彼自身が述べています。
『中国の科学技術史』の出版を機に、彼の名は国際研究学界で知られるようになっていました。1994年、李約瑟博士は中国社会科学院が選抜した初めてのアカデミー会員の一人となりました。
中国との縁:
1900年12月9日、ロンドンに医師の子として生まれました。ケンブリッジ大学で医学を専攻。在学中、ノーベル賞受賞者のホプキンス教授との出会いをきっかけに生化学を志し、生化学者の権威となった。
1930年代後半より中国における科学技術史に関心を持ち始め、中国に3年あまり滞在しました。以後、前人未踏となる中国科学史の研究に没頭していきました。
中国への滞在はこの著作を完成するきっかけとなりました。中日戦争が始まったごろ、彼は中国に同情する気持ちで、中国を支持する記事を発表し、イベントに参加しました。そして、戦争は中国の教育と科学技術研究にどのような影響を及ぼしたかを調査するため、イギリス政府は中国に調査員を派遣することを決め、彼が選ばれました。
1941年夏、ニーダムが中国に派遣されました。中国にいる3年間、彼は旅に11回を出て、累計3万マイルの距離を歩きました。この間、彼は膨大の資料を集めました。中国にいる間、郭沫若、竺可楨など有名な文化科学の偉人と出会い、中国の科学技術に関する貴重な資料を集めることができました。
1948年5月15日、ニーダムは正式的に『中国の科学技術史』の出版計画を出しました。彼は「中国の科学技術は世界的に重要な意味を持っています、しかし、世界文明への中国の貢献度はこれまで、十分認識されていませんでした」と彼は考えました。出版の計画を立てた後、彼は何度も訂正し、最終的に、膨大な量になっていました。
幸い、ケンブリッジ大学は彼を支持し、『中国の科学技術史』の編集に専念できました。1954年8月14日、『中国の科学技術史』の第1巻が出版され、イギリスやアメリカの有名新聞や週刊誌はこの著作を賞賛しました。第1巻、初めて印刷した5000冊はすぐに完売し、追加印刷しました。
それから、ニーダムは残った人生のすべてを『中国の科学技術史』に費やしました。『中国の科学技術史』は全7巻、30冊あまり。50年の間、24冊が出版され(生前出版したのは18冊)、計1万5千ページです。彼が亡くなった今でも、彼の学生や彼を尊敬している学者たちは協力して、編集を続けています。
『中国の科学技術史』は内容が豊富であらゆる物を網羅しています。機器工学、土木工学、科学、軍事技術なも含まれています。生活の中の発明、たとえば、雨傘、凧、将棋などさまざまな分野に及んでいます。この著作はケンブリッジ大学ひいては、イギリス学術史上の偉大な作品であり、各領域の学者にはなくではならない著作です。(訳:帥)
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