北京
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「旅愁」は多くの日本人にとってすっかり日本の歌として親しまれていますが、実はこの歌は米国の音楽家ジョンオードウェイの「家と母を夢見て」の日本語カバー曲です。20世紀初めに日本で留学した中国人音楽家・李叔同がこの歌を中国語の詞に訳し、中国でも広く伝えられました。今回の中国メロディ―は米、日、中3カ国の人々に愛されるこの歌をご紹介しましょう。
誰もが知っている「送別歌」、米国から来た望郷曲
私がこの歌に初めて出会ったのは、1983年に公開された映画「城南旧事(北京の思い出)」がきっかけでした。映画と映画の主題歌がとても美しく、当時印象深かった記憶があります。物語は純真で素朴な子供の主人公の視点で、民国時代の北京の風土や人情を回想しています。主題歌の「送別(送別歌)」のメロディーは、映画のノスタルジックで感傷的なテーマとよく合っていて、今でも忘れられません。
この「送別(送別歌)」はもともと、ジョン・オードウェイが19世紀50年代に作った故郷や親を思う歌で、南北戦争中にアメリカで広まりました。その後、1907年に日本の詩人である犬童球渓(いんどう きゅうけい)がこの歌を日本語に訳し、日本の音楽教科書で取り上げられました。また当時、日本に留学していた音楽家の李叔同は日本語版のこの歌に深く感動したのでした。
李叔同がこの曲に中国語の歌詞を付けたことには、こんなエピソードもあります。雪が降りしきる冬の日、旧友がやって来て李叔同に別れを告げるため、涙を流してこう言いました。「叔同君、うちは破産した。また会おう」遠い友人の後ろ姿を眺めていた李叔同は耳に「旅愁」の哀しいメロディーが響いているようでした。そして次のような送別の詩を書きました。
あずまやの外
古道のあぜ
青々とした草が天に連なる
一杓の濁り酒で最後の喜びを尽くし
今宵は別れる夢寒し
卒業ソングとして親しまれる「送別歌」
今、中国では「送別(送別歌)」が卒業ソングとして広く歌われています。多くの人が子供のころを振り返りますと、この卒業ソングを思い出すかもしれません。あるネットユーザーは「小学校を卒業する時、音楽の先生が私たちにこの歌を教えてくれた。当時は歌詞の意味がよくわからなかったが、今は分かる。でも、学生時代の仲間たちとはなかなか会えなくなった」とコメントしました。
もしかしたら、友人と急いで別れを告げた時は抱き合うこともできなかったかもしれませんが、お互いの深い思いは、いつまでも心の中に大切に残されているのではないかと思います。
「送別(送別歌)」は1851年に誕生して以来、アメリカから海を渡って日本に伝わり、日本を経由して中国に伝わったため、アメリカ、日本、中国を問わず、現地の人々に愛された偉大な歌と言えます。中国の有名なミュージシャンであるプーシューは、「もし僕がこのような偉大な歌を作ることができたら、たとえ1曲であっても、死んでも悔いはないだろう」と話したことがあります。
偉大な音楽の魅力ははかり知れないものがありますね。