北京
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新中国で育った初代の交響曲の作曲家である呂其明さんは七一勲章の受勲者の一人です。呂さんにとって、祖国や人民のために創作することは決してスローガンではなく、生涯の使命です。
1930年生まれの呂さんは父親が革命軍隊の一員であるため、10歳になった1940年の時に新四軍に加入しました。15歳の若さで中国共産党員になり、戦争時代では珍しい若手共産党員の一人になりました。
1942年の初夏に、音楽指導活動のために上海から淮南抗日根拠地を訪れた音楽家の賀緑汀と出会った彼は、賀さんの素晴らしいバイオリンの音色に聞きほれてしまい、音楽が世界で一番心を打つものだと信じるようになりました。
新中国成立後、呂さんは軍隊から離れて、上海映画製作所につとめるようになりました。バイオリン演奏者として、毎日他の人の曲を演奏していましたが、呂さんはいつの日か、必ずオリジナルの曲を作って、演奏しようと心に決めていました。1950年代、呂さんは上海音楽学院で学び機会を得て、飛躍的な進展を遂げました。軍隊での生活経験やバイオリン演奏者としての経歴などは、映画音楽を作曲するうえで基礎となりました。そして、大学在学中、彼は音楽理論の学びや内外の音楽作品への研究に没頭しました。上海音楽学院卒業後、呂さんは上海映画製作所に戻り音楽創作室の責任者を担当し、すべての情熱を音楽の創作活動に注ぎます。
1956年、呂さんは映画「鉄道遊撃隊」の作曲の要請を受けました。この映画は抗日戦争期に、山東省南部に実在した魯南鉄道大隊というゲリラ部隊の活躍をもとに映像化されたものです。この映画の曲を作る際、呂さんは山東省の民謡を編曲するのではなく、遊撃隊員と実際に接触し、理解を深めたうえで、オリジナル曲「我が愛すべき琵琶を弾く」を作りました。その結果、映画が上映されるやいなや、呂さんが作曲したこのオリジナルの曲も大ヒットしました。
1956年に作曲した交響曲「紅旗颂」は第6回「上海の春」という音楽会のために作ったものです。この曲は新中国成立の式典を背景に天安門上空で初めて五星紅旗がゆっくりと掲揚される様子を描いています。創作当初、考えに考えを重ねた結果、呂さんはこの曲のテーマを「中国革命の勝利を称える」とすべきだと決めました。なぜなら、紅旗は革命の象徴であり、勝利の象徴でもあるからです。そして、わずか一か月の間に、呂さんはこの交響曲を完成させました。今になっても、この交響曲は中国の音楽の舞台で演奏されることが最も多く、放送回数が最も多い音楽作品の一つとなりました。