北京
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北京の北東部に位置する塞罕壩(さいかんは)には、果てしない森林が広がっています。ここは世界最大の人工林として知られていますが、かつては緑の少ない荒地でした。今日の姿になるまでには多くの人々の貢献があり、3世代にわたって奮闘を続けてきた家庭がいくつもあります。
塞罕壩の砂漠化防止事業は1960年代に始まりました。1962年に塞罕壩機械林場が設立され、平均年齢24歳未満の若者369人が集まりました。その初代メンバーの一人である趙振宇さんは、承徳農業専門学校を卒業した直後に塞罕壩での植林に携わりました。
塞罕壩の最低気温はマイナス43.5℃、吹雪になることもある厳しい環境です。それでも趙さんはこの土地を離れることなく植林事業に身を捧げました。自らの人生に「悔いはない」と胸を張りますが、娘さんについて語る時だけは、言葉を詰まらせます。
「私たち夫婦は林場で働いていますが、当時は幼稚園がなく、子供は近所の農家に預けていました。そこで次女が火鉢に落ち、今でも腕や胸にやけどの痕が残っているのです。子供には申し訳なく思っています。一生涯をこの事業だけに捧げたことを、ばかげていると思ったこともあります。でも、後悔はしていません。すべてを賭けなければ、今日のこの森はなかったのですから」
展望係の于成さんは今年57歳。この仕事を20年続けてきました。初代メンバーの一人であった父親が植えてきた木々を守る責任に重みを感じていると話します。
「この仕事が寂しいものであることは言うまでもありません。いくら条件がそろっていても、苦しいほうです。職場に入ると24時間休めず、15分ごとに報告しなくてはなりません。1日のうち19時間を電話をかけることに費やします」
そんな于さんには、若い時から連れ添った妻がいます。彼女もまた、于さんと共にこの森と家族を守り続けてきたのです。
1989年生まれの鄒建明さんは、この森の三代目の守り手です。祖父母の世代の造林の話を聞いて育ちました。小さい頃は、いつも仕事で家を空けていた父のことが理解できず、憎むこともあったそうです。
自身の成長につれて父のことも理解できるようになり、森林を守る責任の重大さも知りました。そして、河北農業大学卒業後に父親からバトンを受け継ぐことにしたのです。
「私が生まれ育ったこの林は、祖父や父のような人たちが植えてきたものです。ここをしっかり守りながら、永遠に発展させていくことが、私たち三代目の責任と使命だと思っています」
三世代にわたって緑豊かになったこの森を、習近平国家主席が23日に視察しました。習主席は現地スタッフたちとの交流の中で、「塞罕壩精神を発揚し、新しい道のりでさらなる貢献をしてほしい」と激励しました。(朱、謙)