北京
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メガネ姿に細長い体形。初対面の時、目の前の侯さんは「スポーツとゆかりの深い方だ」とはとても思えませんでした。しかし、見かけによらず、侯さんは、中国スポーツ切手収集と収蔵協会副会長、北京冬季オリンピック大会をPRする講演団メンバー、オリンピック博覧会組織委員会高級顧問など多くのスポーツ関係の肩書を背負っています。さらに、数えきれないほど多くのスポーツ大会で、聖火ランナーを務めてきました。まさにオリンピックの熱狂的なファンと言っても過言ではありません。2012年からこの1月まで、世界の、冬季オリンピック、夏季オリンピック及び14歳から18歳までを対象としたユースオリンピックの26か国47開催都市をすべて行脚しました。
今日の「CRIインタビュー」は、そんな侯琨さんの「オリンピックとともに歩む人生」にフォーカスしてお伝えしてまいります。
IOC文化・オリンピック遺産委員会委員の侯琨さん
侯さんがオリンピックと縁を結んだきっかけは、2008年の北京夏季オリンピック大会に端を発します。スポーツ観戦などをめぐり興奮冷めやらぬ体験をたくさんした彼は、2年後の2010年に会社員の仕事を辞めて起業し、文化としてのオリンピックのPRに専念すると決意しました。
世界中のオリンピック開催都市行脚を決めたきっかけについて、侯さんの話です。
「ある日、友達と会食した時、オリンピックのPR事業を始めた以上、世界中のオリンピック開催都市を回ってみようではないかという大胆な発想が沸きあがり、話が盛り上がりました。大会後、開催都市はどう変容しているのか、その姿をこの目で確かめてみたい。そう思って、私は旅に出ることを決めました」(侯琨さん)
1984年ロサンゼルス五輪の聖火トーチを手にした侯琨さん、ロサンゼルス五輪のメインスタジアムにて
実際に決意したのは2011年11月のことでした。ロンドンオリンピックのスローガンである「世代を超えたインスピレーション」に心打たれ、当時28歳だった侯琨さんは翌2012年1月1日に早速ロサンゼルスに赴き、世界を歩き回るオリンピックの旅を正式に始めたのでした。
「最初の頃、オリンピックを試合そのものにフォーカスして、スター選手や新記録が誕生する場だとしかとらえていませんでした。しかし、オリンピックのPR事業、そして世界行脚の旅を始めてみると、文化としてのオリンピックに触れることができ、真の意味でのオリンピックスのファンになり、追っかけになりました」(侯琨さん)
侯さんは最初は、夏季オリンピックの開催都市の行脚のみを目指していましたが、2014年南京ユースオリンピックの開催と2022年北京冬季オリンピックの開催決定が彼にとって、新たな刺激となり、冬季オリンピックやユースオリンピックの開催都市も計画に入れました。その時から9年余り。侯さんは日本の東京、長野、札幌を含む26カ国47オリンピック開催都市のすべてを踏破しました。
日本の新幹線長野駅
「全ての都市を歩き回り、オリンピックスポーツが開催都市と開催国、ひいては人々の心に変化をもたらしていることに気づきました。オリンピックは信念として、身を投じる価値があるものだと、ますます思うようになりました。旅を通して一番感慨深かったのは、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタン氏が言ったように、オリンピックの中心的理念は平和の思想だと知ったことです」(侯琨さん)
侯さんが、旅の中で一番印象に残った都市は、1984年冬季オリンピックを開催した「ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォだ」だったそうです。2018年4月にサラエヴォを訪れた彼の宿泊先は、1984年冬季オリンピックの公式ホテルとして使われたホテルでした。外壁に残った弾痕やスタジアムの瓦礫を目の当たりにして、戦禍に巻き込まれた都市の記憶がおのずと蘇り、衝撃を受けました。
「オリンピック閉幕時、時のサマランチIOC会長は『最高の冬季オリンピックだった』と評価しました。しかし、その8年後に戦争が勃発しました。私が訪れたのは2018年でしたが、まだ戦闘の痕跡がそこここに残っていました。国にとって、平和が失われれば、何もかもも失ってしまうということをしみじみと感じました」(侯琨さん)
弾痕が残っているサラエヴォ
こうした旅を通して、侯さんとオリンピックとの絆は益々深まっています。北京にある彼のオフィスに足を踏み入れると、東京オリンピックの開催にちなんで、日本とゆかりのあるコレクションの陳列が目に入ります。様々なコレクションの中で、「一番貴重なものは、東京オリンピックの聖火トーチだ」と話してくれました。
今年3月、ギリシャのアテネでの聖火リレーランナーに侯さんが選ばれました。しかし、コロナ禍の影響で結果的に参加はできませんでした。トーチはその後、IOCから郵送で届けられたそうです。
東京五輪の聖火ランナーに選ばれた侯琨さん
「この使われなかったトーチには特別な意義があると思います。バッハ会長が言ったように、『トンネルはどのように長くても、我々は必ず出会える』。今回の東京オリンピックとその聖火はトンネルの先にある明かりです。史上最も特別なものだと私は受け止めています」(侯琨さん)
侯さんはこの夏も東京の旅を計画していました。しかし、パンデミックのため諦めざるを得ませんでした。今回の大会で「より速く、より高く、より強く」という五輪のモットーに新たに「共に(together)」が加わったことについて、侯さんは「共に困難に立ち向かう」という文字通りの意味が含まれており、「コロナ禍を克服して大会を開催することは、全人類が前に進みたいという共通した願いの表れだ」と話してくれました。そして、「感染症が収まれば、また旅を続けたい。その日は遠くない」と信じて疑わない様子でした。
「より速く、より高く、より強く」という五輪のモットーに新たに「共に(together)」が加わった
「感染症が収まって世界を自由に行き来できるようになれば、僕はまた東京観光に出かけたい。オリンピック開催中ではないのが残念ですが、スタジアムや関連施設は残っていますし、2019年に行った時に見られなかった新しい国立競技場もゆっくりと回ってみたいと思います」(侯琨さん)
オリンピックに魅せられた侯さんの旅は、間違いなく今後も継続していくことでしょう。
(文:洋、校正:Yan)
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