北京
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「若いうちから自然科学をたくさん勉強しておくように……今は自然科学に専念して、社会科学を補助的なものとしたほうが良いでしょう……これは私の意見です。あくまでアドバイスとして、君ら自身で考えて決めてください」
これは1939年に毛沢東が遠く離れたソ連で勉学中の息子、毛岸英と毛岸青に宛てた手紙です。毛岸英さんと毛岸青さんは当時は、まだ20歳前の若さでした。親子たちは会うチャンスがなかなかないものの、毛沢東はいつも手紙を通じて、子どもたちに勉強に励み、力を蓄えるよう激励していました。
これらの手紙の中で、毛沢東は息子たちに中国の歴史書をたくさん読み、中国国内で起きたことに関心をもって、個人の進歩と人民の役に立つ事業を密に結びつけるよう言い聞かせています。
1946年1月、毛岸英は10年間にわたるソ連留学を終え延安に戻り、18年ぶりに父親と再会しました。しかし、毛沢東は息子をそばには置かず、中国の農村について理解を深めるよう毛岸英を離れた農村での仕事に就かせました。彼は毛岸英に宛てた手紙の中で、「勉学と仕事にとって、情熱と根気が一番です。人民の利益に合わない、個人主義に基づいた見栄っ張りの気持ちさえなければ、人間はかならず進歩できます」と書いていました。毛岸英は父親の言葉をノートに書き写して座右の銘にし、自分を励ましていました。
毛沢東はいつもわが子を厳しくしつけています。言葉だけでなく、身をもって手本を示すか、労働者や農民と一緒に生活させ、勉学させる形で、最も素朴でかつストレートな形で、謙虚で冷静さを保ち、向学心を持ち続けようと叩き込みました。
家庭教育を重視する毛沢東の姿勢は、その後、中国では一般の民衆、とりわけ、指導者層や幹部たちが子どもの教育をする上で手本となっています。(hj Yan)