北京
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10月7日、中国東南部の沿海都市・厦門(アモイ)が経済特区設立40周年の記念日を迎えました。かつて世に知られざる町だった厦門は一体どのようにして、国内外からの観光客と国際資本を引き付ける現在の開放都市へと発展したのでしょうか。そこには、「結果は努力次第」をポリシーとする地元の人々たちの力がありました。
1985年、経済特区に指定されて5年ほど経った厦門に、32歳の副市長が就任しました。彼こそ、現在の国家主席である習近平氏その人です。習氏は着任早々、「開放によって改革と発展の道を模索しよう」との理念を打ち出しました。
そして翌年6月、習氏はある談話の中で「“厦門”は『ビルの扉』という意味だが、これは開放への扉である。この対外開放の扉をよりスピーディに、より良く建設していきたい」と語りました。
その頃、厦門は自由港の建設を目指した模索に力を注いでいました。習氏は国際的な経験に学ぶため、研究チームを率いてシンガポールを訪れ、全国初の「輸出加工区と自由港」に関する国際シンポジウムを開催するなど、厦門の未来を見据えた足場を固めました。その後、シンガポールのモデルを踏襲するのではなく、厦門は中国の国情と自らの条件を踏まえて、保税区から自由貿易区へ、そして最終的には「制限付きの自由港の開放を全島で進める」という3つのステップの戦略を打ち立てました。
2015年4月、厦門の所在地である福建省が中国の新たな自由貿易試験区に指定されました。この流れに乗じて、厦門は21世紀海上シルクロードの建設を契機に、「一帯一路」沿線諸国との経済・貿易協力、人的交流、文化交流を密接にし、輸出入貿易の大幅な成長を実現させました。
そして今日に至り、国際貿易、航空メンテナンス、融資とリース、水上運輸、イノベーションと起業、文化観光、ハイテク製造という7つの産業を柱とする厦門自由貿易エリアが既に基本的な規模を整えつつあります。同エリアの発足から5年で、新規登録企業の数は計5万300社増加しました。
中国には2020年9月までに計21の自由貿易区が設立されました。厦門の発展は中国の改革開放事業における1つの縮図として、対外開放の物語を語り続けています。(洋、謙)