新型コロナとの戦い~マスクを届ける楊熹さんの物語(上)

2020-06-16 22:08  CRI

 

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 2020年年頭、突如中国、そして世界を襲った新型コロナウイルス。この見えないウイルスとの戦いで、様々な人が様々な行動を起こしました。今回は上海在住の楊熹さん(50歳)の物語です。
 楊さんはこれまで私財をはたいて、当初は武漢やふるさとの温州を始めとした中国国内に、その後は日本、イラン、イタリア、セルビア、ハンガリー、イギリスなどにマスク計20万枚余りを寄贈。1月末から5月末まで、マスクの調達、発送のために奔走した毎日でした。記者がSNSの通話機能を使って取材した時、楊さんは電話の向こうで実に申し訳なさそうな様子でした。
 「幼い時から、良いことをしたときには名前を残さないのが美徳だと教わっています。私の周りには同じことをしていた人がたくさんいます。パンデミックの中、ほんの少しマスクを寄贈したからと言って、わざわざ私だけを取り上げていただくほどのものではありません」
 それでも、記者は抑えきれない好奇心で、苦労を厭わずに感染拡大の中心地を追う形で、コツコツとマスクを送り続けた楊さんに話を聞き続けました。一体、マスク寄贈の背後に楊さんのどのような思いがあり、どのような人生があったのでしょうか。

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2月半ば、マスクの仕分けをする楊さん(写真は本人提供)

■セルビア警察に送ったマスクは「20年後の恩返し」

 4月初旬、中国上海から1万枚のマスクが、国内では北京から上海へと転々した後、セルビアの首都ベオグラードに到着しました。これらのマスクは、現地にある中国大使館経由で、すべてセルビア警察に寄贈されました。これは、楊さんが外国に寄贈したマスクのほんの一部です。

 セルビアに至急マスクを送りたい。こう思った楊さんは、3月15日にブチッチ大統領が涙ぐみながら感染症について緊急事態を宣言した映像を見たからだと話しました。その少し前に、セルビアは感染者55人を突き止めはしたのですが、国内にストックしていた検査キットの全数を使い果たし、深刻な対策物資の不足に陥っていました。その時、同じく欧州にあるほかの国々も相次いで、感染拡大で深刻な物資不足に見舞われていました。そんな中、テレビ演説をしたブチッチ大統領は、「困難に直面した時、唯一セルビアに支援の手を差し伸べてくれるのは中国だ」と話していました。

 その時の中国は、感染が少しずつ落ち着き、マスクの生産と供給も少しずつではありますが、確保できるようになっていました。大統領の切実な表情に楊さんは焦りだしました。何故なら、セルビアは彼女にとって、2年余り暮らしていた思い出深い国だったからです。

 マスクはすぐに購入できました。しかし、すぐに大きなハードルにぶつかりました。輸送ルートが確保ができません。パンデミック宣言後の国際航空の減便で、世界をつなぐ物流が大きな影響を受けたからです。

 「首都空港からだと、飛行機には早く乗れるかも」

 情報を聞きつけた楊さんはマスクを一旦北京空港に発送しました。しかし、なかなか順番は回ってきませんでした。結果的にもう一度上海に発送しなおして、挙句に一か月後にベオグラードに到着した報せを受けたのでした。楊さんは言います。

 「無事届いただけ大儲けした思いで、感謝の気持ちしかありません」

 ところで、寄贈先を警察にしたのは、楊さん自身の指定でした。何故そのようなこだわりがあったのかと聞きますと、次の昔話を聞かせてくれました。

 時は21年前の1999年12月29日、所はセルビアの首都・ベオグラード。その日、爆撃で焼け焦げたビルが建つ中国大使館の前で、外国人同士の殴りあいの喧嘩が起きました。

 

■改革開放の申し子 貿易で世界に飛び出る

 21年前、楊さんを巻き込んだ喧嘩の話をする前に、まず彼女のプロフィールを簡単に紹介します。

 楊さんは1970年、浙江省温州の生まれ。勤勉で、商才に長ける人が多いという土地柄の影響もあるのか、楊さんは大学卒業後に就職しても、OL生活には満足していませんでした。折しも1990年代以降の中国は、若者の間で一番おしゃれとされていたことは「下海」、つまり、組織での仕事を辞めて、自分でビジネスを始めることでした。時代の潮流を読んだ楊さんは、1997年に辞職して貿易に身を投じました。主として、東欧を相手にする貿易で、気に入ったセルビアで現地法人を作り、欧州全域とつないで、ビジネスを拡大していきました。しかし、そんな中、1999年3月にコソボ戦争が勃発し、5月になると世界中の中国人に衝撃を与えた事件が起きました。ベオグラードにある中国大使館が米軍にピンポイントで爆撃され、3人のジャーナリストの命が奪われました。

 戦乱で不安な日々を送っていた楊さんは、現地を離れ、本帰国を決意し、その年の12月30日上海行きの航空券を入手しました。

 帰国の準備を整え終えた時、思い残すことが一つだけありました。爆撃を受けた中国大使館を写真に収め、セルビア滞在の証しに持ち帰りたい。そう思って、前日に中国大使館へと向かいました。その時の中国大使館は、爆撃を受けたビルは黒ずんだ外枠しか残っておらず、真ん中がすぽっと空洞のままになっていました。ビルの天辺には中国の国旗「五星紅旗」が風になびいていて、それを目にした楊さんは「なんともいえない悲しみ」に襲われたと振り返ります。しかし、そこに思いもよらず、同じく見物に来たからか、5~6人のグループがいました。爆撃されたビルを背に、Vサインをして写真を撮りながら、「ざまぁ見ろ!」と中国を侮りののしる言葉を連発してはしゃいでいます。後で隣国からの若者たちだと分かりましたが、傷口に塩がなすられたと感じた楊さんは思わず注意しても、益々テンションが高まるだけ。こみ上げてきた屈辱の思いにかられて、楊さんは先方にくってかかり、双方は殴り合いになりました。

 すぐに駆け付けてきた警察官は殴り合いに至った経緯を聞きとった後、楊さんに向かって、「そういうことでしたら、貴方は謝罪する必要はありません」と言い、その場で解放しました。

 「自分の国が侮辱された」ことに対して、やさしく思いを寄せてくれたセルビアの警察官に、楊さんは感謝の気持ちをずっと抱き続けてきました。「20年前からいつか御礼をしたい。そう思い続けてきましたが、新型コロナで願いが叶いホッとしました」と楊さんは振り返りました。

 

■ビジネスで身につけた行動力 誰よりも早く支援に乗り出す

 1999年も過ぎ去ろうとする中、東欧から中国に戻った楊さんは、その後もヨーロッパと貿易を続け、現在はジュエリーから医薬品まで手広く投資する投資会社の経営者です。ビジネスを通して築かれた人脈はのちに、イタリアの高級品ブランドと代理契約を結ぶ事業に生かされ、さらには、今年のマスクの調達や寄贈にもしっかり生かされていました。

 1月23日に、感染者が急増する武漢市では都市封鎖が発令。ほぼ同じペースで、楊さんの故郷の浙江省温州も感染状況が急激に悪化し、状況が緊迫していました。そういう一連の動きの中で、楊さんの戦闘の日々が始まりました。

 一人でも多くの人をウイルスから守るために、まず必要なものは防護具です。武漢ではあきらかに物資が不足していますが、上海にいる自分や家族、温州にいる親戚や知人たちも必要です。それに団地の掃除係はいつ見ても黒ずんだマスクを付けていました。

 「こういう時にマスクがあれば、大事なガードラインが1本増え、ウイルスから身を守ることができる。他人を守ることは結果的に自身を守ることになる」

 居ても立ってもいられなくなった楊さんは、ありとあらゆる手を尽くして、マスクを購入する行動に出ました。上海市内にある薬屋でマスクを買う行列に並んでみたものの、2日間で入手したのは10枚にも満ちませんでした。ビジネススクールや同郷人の仲間からSNSでシェアされた販売情報にすがり、平時よりも高いお金を支払い、すぐに納入できると待っていても、実際に届いたのは4月以降という事も何度もありました。

 国内ではどこもマスクが不足しているので、海外から輸入するしかない。そう心を決めた楊さんは、昔のビジネスパートナーを通して、40万枚のマスクをすぐに発送できるイランの会社を見つけました。扱っていた多くは、欧州製のマスクでした。

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2月18日、楊さんが注文した40万枚のマスクが上海に到着(写真は本人提供)

 「その時は、まさかイランも欧州もその後、感染が急拡大するとは思いもよりませんでした。分かっていたら、現地に残してそのまま役に立たせたかったのです。それが本音なのです」

 2月18日に、コンテナ一個分になる40万枚のマスクは上海に届き、トラクターに積み替えられて、楊さんの所に搬入されました。トラクターの到着を一緒に待っていたのは、情報を知った大勢の知人たちでした。その場で約半分がもらわれていきました。

つづく

【次回の予告】

■お腹がすいた時の一杯のご飯  他人を助けることは自身を助ける
■中国からのマスク 善意のリレーで届く
■親子のコラボで届ける日本への恩返し
■新型コロナに気づかされる、人類は運命共同体


(聞き手&記事:王小燕)

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