マスクに思いを寄せて(上)~中国語通訳・神崎多實子さんに聞く

2020-04-08 21:35  CRI

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恩師の思い出 天国からのプレゼント

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神崎多實子さん

 新型コロナウイルスの世界での感染拡大を背景に、この1月末以降、おびただしい量のマスクが日本から中国へ、また中国から日本へと送られました。国、地方、企業、団体、個人……様々なつながりの中で、マスクを始め、人々の篤い思いを込めた支援物資が両国の間を行き来していました。
 送る人、受け取る人、それぞれがどのような思いから行動を始めたのか、今週と来週はミクロ的な視点で、海のこちらと向こう岸にいる人間同士の絆にフォーカスします。二人の物語を通じて、危難に際し、自発的に支え合い、助け合う底力の源流を探ってみたいと思います。

 ディズニーランドからほど近い千葉県浦安の団地。3月に入り、ここに住む神崎多實子さんの家宛てに、中国から続々とマスクが届きました。その数は、これまでに約3500枚にも達しました。

 神崎さんは幼年期から高校まで家族と共に中国で過ごし、1953年に帰国。その後、60年余りにわたり、中国語を使って両国の様々な交流の現場で仕事し、現在もNHK BSの放送通訳として現役で活躍中。日本の中国語会議通訳の草分けたる存在で、同時通訳の教材を2冊出版し、通訳人材の育成にも尽力してきました。

 中国から届いたマスクの送り主は、長春で習っていた中学時代の恩師の娘、日本から中国に帰国した教え子、または中国行きの飛行機で隣の席に座って会話が弾んで意気投合した新しき友人……などなどです。

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神崎さんの自宅に届いたマスクの一部

 神崎さんからすれば、中国から届くこれらのマスクは、どれも中国の友人の真心をあらわした「友好の使節」そのものです。中でも、最初に届いた500枚のマスクに格別な思いがあると言います。何故ならば、それらのマスクは恩師が天国から寄せてくれた「プレゼント」だったからです。神崎さんはその経緯について、「天国からのプレゼント マスク」と題し、新潟県三条市で編纂される同人誌『越後文学』に特別寄稿しました。

 神崎さんはエッセーの中で、1月半ば以降の武漢の緊迫した状況を振り返り、自身の武漢への思いをこう綴りました。

 「私の武漢に寄せる思いは、深い。中国東北部の長春で、中国の学友とともに中学時代を過ごし、日本に帰国したのが1953年。その後5年を経て日本商品展覧会の通訳として中国を再び訪れたのが武漢だった。不覚にも風邪をひき、中学の担任の張先生が、わざわざ長春から赤いセーターを送ってくださった。また今も当時の同級生が武漢に住んでいて、一昨年にはホテル代わりに自宅に泊まらせてもらい、観光旅行もした……(中略)今年も訪中したら、帰りは是非武漢からと決めていた。」

 1958年、正式な国交がまだない中、第2回「日本商品展覧会」が2月に広州で開幕し、4月に武漢に移して開催を続けました。100人余りの大型訪中団には、通訳として随行した20代前半の神崎さんの姿がありました。

 それだけに、武漢は神崎さんにとって格別な町でした。それゆえ、この町で起きた緊迫した事態を見て、「熱い鍋の上のアリ」のように居てもたってもいられなくなったと言います。「何かしなければ」、この強い思いに駆られて、スーパーに走ると、すでにマスクが品切れになっていました。方向を転換して、義捐金を送るルートを探し出し、「武漢の末端の医療機関に届くよう、切にお願いします」と添え書きしたメールと共に、中国大使館指定の寄付口座にいち早く送金を済ませました。

 1月23日、武漢に都市封鎖が発令されました。その後、ソーシャルメディアのWechatが神崎さんと武漢や中国にいる同級生、友人とつなぐパイプになりました。かつての中国人同級生はピンインを習ったことがないため、携帯電話での文字入力に不便を感じる人もいます。その場合は、子ども世代を巻き込んでの交流になります。

 武漢にいる同級生は、娘さんが日本語を習ったことがあるそうです。「どうせ家にいるなら、日本語で文章でも書いてみたら?送ってくれれば、直してあげるわよ、と声をかけたら、喜んで作文を送ってくれた」そうです。

 このようにして、神崎さんは現地の人の気持ちに寄り添い続け、浦安にいながら、武漢の新型コロナウイルスとの戦いを声援し続けてきました。ところが、2月半ば以降、新型コロナウイルスの感染が日本でも拡大し、マスクの品薄状態は今になっても解消されません。そうした中、武漢や中国の友人たちとの会話は、「逆に向こうから心配されて、元気付けられるように」なったそうです。

 ある日、神崎さんのところに北京から連絡が入りました。2年前の夏に故人となった張先生の娘・徐さんから、「マスクを贈りたい」というのです。「再三辞退した」神崎さんに対し、「是非贈るようにと天国の母も言っている」と徐さんは頑として引かず、断る理由がなくなりました。こうやって、浦安に届いたのは500枚ものマスクでした。

 受け取った時の心境について、神崎さんは「二十歳そこそこの私に張先生がセーターを送ってくださってから60年余り、今も先生は天国からマスクを贈ってくださっている」と感慨深そうに書いていました。

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1979年、長春で張先生と再会する神崎さん

 神崎さんによりますと、張先生は自分よりわずか8歳しか年が離れておらず、「優しいお姉さんのような」先生でした。62年前の武漢で先生からセーターを受け取った時に、「とても喜んでいた」自分は、現地で買ってきたウイグル族のかわいい人形を先生に送ったと記憶をたどります。

 神崎さんは、張先生について習っていたのは1951~1953年の2年余りでした。編入されたクラスは、師範学校を卒業したばかりの張先生が受け持った最初のクラスだけあって、先生も教え子たちのことを忘れていません。また、現在も親交を続けている当時の同級生もいます。長春、武漢、昆明と全国各地に分散して住んでいますが、神崎さんが北京に来ると、皆が北京に集まり、同じく北京にいる張先生の自宅を訪ねたりしていました。

 2015年、張先生を囲んでの集まりが北京で行なわれました。別れ際に、神崎さんは先生からギュッと抱きしめられ、「私の教え子がみんな、あなたみたいな人だったら良かったな」と声をかけられました。師弟関係60年余の最後の集まりでした。

    2016年7月、張先生は89歳で逝去しましたが、ご家族の方たちとは、神崎さんたちは今も付き合いを続けています。北京から届いた500枚のマスクには、実に60年以上の月日の流れがあっても色褪せることのない、親から子へとつないだ深い情が凝集されていました。

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 2015年夏、長春、昆明、武漢から集まった同級生らと共に北京にいる張先生を尋ね、張先生一家との記念写真

 神崎さんの家には、その後も中国各地から3千枚余りのマスクが相次いで届きました。マスクには困っていないはずの神崎さんですが、Wechatで送られてきた顔写真には、なぜか繰り返し洗って使う布マスクがつけられていました。

 「付け惜しむ」理由について、神崎さんは言います。

 「海を渡ってきたマスク、友情のマスクを一人でも多くの人に実感していただきたい。とりわけ、外での活動が多い若い人たちに一枚でも多く分けたいからです」

 こうして、神崎さんに「友好の使節」と称され、「姿なき敵から私たちを守ってくれている」マスクは、春に咲く桜の花びらのように、職場の同僚に、ご自身が指導に立つ通訳養成学校に、孔子学院の中国語教室に、そして、同じ団地のご近所さんに分けられていきました……

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 今も教鞭をとっているサイマルアカデミーの教え子に分ける際のメッセージ

 さて、武漢のその後について。1月23日からの封鎖措置が4月8日に正式に解除されました。市内での予防・抑制対策はまだ続いているため、完全に終息したわけではないにせよ、ウイルスとの戦いでは「段階的な成果」を挙げたことは事実です。インタビューの最後に、「こうした成果を挙げられたのは、神崎多實子さんを始め、武漢以外に住む内外の大勢の方たちからの支援のお陰でもある」と御礼を言いますと、返されてきたのは次のような力強い言葉でした。

 「私が中国に何かをしたいということは全て恩返しです。中国で一生懸命勉強するように仕向けてくださった先生と友達がいらしたからこそ、今もまだ中国語を続けたいという気持ちを抱いていられるのです。その人たちへの深い感謝の気持ちの表れだと思っています。私が言うべきことは、これまで本当にありがとうございましたという一言です。これからも自分の余生をそのために尽くしたいと思っています」

 そして、「感染が完全に終息した暁には、ぜひまた中国を訪れたい。私の先生のお墓参りもしたいし、友達にも会って、これまでの長い友情を互いに確かめ合って、できるだけ健康で長生きしていきたいと思います」と続けました。

 ところで、亡き母の教え子にマスクを送った徐さんは、定年退職した元ファッションデザイナーで、今は野生動物の撮影を趣味にしています。自身の癌体験をきっかけに、北京の病院で終末期ケアのボランティアをし、社会活動にも熱心な人でもあります。徐さんは神崎さんに何故マスクを送ろうと思ったのか、来週の番組でまた改めてご紹介します。

(聞き手&記事:王小燕、写真提供:神崎多實子)

【プロフィール】

<神崎多實子さん>

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 1935年東京都生まれ。幼年期に家族と共に中国に渡り、1953年に帰国。都立大学付属高校(現桜修館)を卒業した後、北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。現在もNHK BSの放送通訳として現役で活躍。

<『越後文学』>

 新潟県三条市で編纂、発行されている純文学の同人誌(編集長:梅田純子)。
 1940年に創刊され、日本の同人誌として最も長い、80年の歴史を持つ。現在は年4回発行。2019年には新潟出版文化賞を受賞。
 「天国からのプレゼント マスク」は神崎さんが5月に発行予定の『越後文学』への特別寄稿。梅田編集長の許可を頂いて、番組で紹介しました。あわせて御礼申し上げます。

【リンク】

 マスクに思いを寄せて(下) ~徐舒さん:日本に送るマスクは 天国の母とのつながり

 

 この記事をお聞きになってのご意見やご感想、世界の新型コロナウイルスとの戦いに寄せる思いをぜひお聞かせください。Eメールはnihao2180@cri.com.cnまで、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号 中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局】までにお願いします。

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王小燕