―紫禁城 雲中天壇 北京秋天―
梅原は、この509号室の窓から眺める風景を精力的に描き続けた。
梅原はこう書いている。
「北京の生活はホテルの窓から紫禁城と長安街が目の前に見えて朝方の景色が美しいので、早くから明るくなるのを待って外を写した」
「毎年同じところを描くのだが、光の美しいときには常に新しい歓こびを感じ、あかずに描くことができた」

梅原龍三郎の北京訪問は、51歳から55歳までのまさに円熟期の制作旅行で、世界的にも知られる「紫禁城」「北京秋天」「雲中天壇」といった名画を残している。
梅原自身も「北京での生活は、私のこれまでの人生で、いちばん張りのある時であったと思う」と書いている。常日頃、「私は美しいものしか描かない」と言っていた梅原にとって、北京は右を見ても左を見ても美しいものに溢れていたのだろう。
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