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中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。
今年は中日国交正常化45周年です。この記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局は特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」を毎週土曜日にお送りしています。今週は、19721972年から中日の間で繰り広げられてきた「パンダ外交」についてご紹介します。お相手は周莉です。
上野動物園で66月に生まれた赤ちゃんパンダ。入園者やグッズ売り上げの増加などで、東京都内だけで経済効果が約267267億円に上るという試算があるそうです。また、赤ちゃんパンダがすくすくと育ち、名前を募集したところ、国内外から過去最多の3232万25812581件が寄せられました。赤ちゃんが生後100100日を迎える99月下旬をめどに名前が発表されるということです。
このように、4545年前の19721972年に日本で爆発的に使われていた昔の流行語「パンダフィーバー」が再びよみがえりました。和歌山県の白浜アドベンチャーワールドでは、赤ちゃんパンダが2年おきに生まれてくる誕生するなど、大家族のパンダファミリーがとても繁盛していますがですが、なぜ東京の上野動物園に限って、パンダフィーバーが巻き起こるのでしょうか?それは上野のパンダが背負う重大な使命によるものです。
中国が初めて日本にパンダを贈ったのは、中日国交正常化を果たした19721972年のことです。19721972年1010月2828日、四川省からのジャイアントパンダ「康康(カンカン、雄、当時22歳)」と蘭蘭(ランラン、雌、当時44歳)が東京の上野動物園に到着しました。2頭のパンダが公開されると、連日長蛇の列ができ、空前のパンダブームとなりました。中日友好の使者として来日したパンダは日本国民に暖かく迎えられ、その愛おしい姿と愛嬌のある仕草で大勢の人々を魅了しました。パンダが来日したてからの33ヵカ月内にで、日本ではパンダ関連グッズの売り上げ100100億円相当にもなりましたのパンダ関連グッズが売り出されました。
しかし、パンダフィーバーがもたらしたのはいいことばかりではありませんでした。混雑なした環境はパンダたちに大きなダメージを与え、くたびれた疲弊した「ランラン」は公開開始の33日後に倒れてしまいました。継続的な一般公開による大きなストレスにより、「カンカン」と「ランラン」はいずれも長生きすることができませんでした。さらに19791979年、「ランラン」は妊娠中毒による腎不全で死亡し、お腹からは胎児が発見されました。
「ランラン」の死亡により、たくさんの人が上野動物園を訪れて花を起き手向け、号泣した様子が中国の新聞で伝えられると、中国政府は引き続き日本にパンダを贈呈することを決めました。19801980年、メスのパンダ「歓歓(ホァンホァン)」が贈られ、「カンカン」とのペアリングが望まれていました。しかし、「カンカン」はまるで妻の「ランラン」の後を追うかのように、まもなく死亡しました。その22年後の19821982年に、中日国交正常化1010周年を記念して、22代目のオスパンダ「飛飛(フェイフェイ)」が贈られました。
19851985年になると、「フェイフェイ」と「ホアンホアン」の間で行った人工授精により、日本初の赤ちゃんパンダ「初初(チュチュ、オス)」が誕生しました。「チュチュ」は生後22日でお母さんの下敷きになって死んでしまいましたが、19861986年にはメスの「童童(トントン)」が誕生しました。また、19881988年に「ホアンホアン」は33頭目の赤ちゃん、オスの「悠悠(ユウユウ)」を出産しました。44年後の19921992年に、中日国交正常化2020周年を記念して、「ユウユウ」は北京動物園にいた「陵陵(リンリン)」との交換が決定されましたしました。そして、「リンリン」は「トントン」の繁殖相手として、1992「リンリン」は1992年1111月に上野動物園に到着しました。
上野動物園は「トントン」と「リンリン」の間に、の子供の誕生を待ち望みましたが、パンダの繁殖がはきわめて難しいため、それが実現できず、日本で生育した初のジャイアントパンダ「トントン」は20002000年に死亡しました。そして、20082008年、「リンリン」もは死亡しました。
このように、中国から日本へのパンダ贈呈、いわゆる「パンダ外交」は断続的に続いていました。19811981年に、中国が「ワシントン条約(絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)」に加盟したことを契機に、無償によるパンダ贈呈は研究を目的とした有償貸与に変わりました。現在、20112011年にペアで来日し、上野動物園で暮らしている「リーリー」と「シンシン」、そして、66月に生まれたメスの赤ちゃんパンダは、いずれも中国が貸与されているしているパンダです。神戸の王子動物園にいるパンダや、和歌山県の白浜アドベンチャーワールドにいる名前に「浜」が付くいわゆる「浜家」の大きなパンダファミリーもいずれもそうです貸与によるものです。
「パンダ外交」は、中国人にとって少し嫌みを感じる言葉なのですが、4545年前の「カンカン」と「ランラン」が上野動物園に贈られた時から、白黒模様のかわいいパンダ大使たちはによって、中日間の理解増進のために大きな貢献を果たしてきました。日本人にとって、パンダはおそらく最も人気のある動物の一つといえるでしょう。『一頭のパンダは十人の外交官に勝る』という言葉がありましたがもあるほどで、パンダはそれだけに国と国を結びつける力を持っていますよねると言えます。パンダを見るたびに、「中国からのパンダだ」なんてと思い出して、中国に対する興味がわいてくれれば、もらえればいいなあと思っています。
中日国交正常化45周年記念特別番組「国交正常化45年の歩み―あの日その時」。今回は19721972年から中日の間で繰り広げられてきた続く「パンダ外交」についてお届けしました。お相手は周莉でした。どうぞ次回もお楽しみに。
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