北京
PM2.577
23/19
中日国交正常化45周年特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。今年、中日国交正常化45周年という記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局では、特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」を毎週土曜日にお送りしています。
およそ約50年前の1964年9月29日、中国の記者7人と日本の記者9人が相手国の首都、東京と北京に到着しました。第二次世界大戦後、国交がまだ正常化していなかったい時代に、中日両国は互いに駐在記者の派遣をスタートさせました。
その後、国交正常化も経て、両国は駐在記者を派遣し続け、相手国の本当の姿を自国自分の国に向けてに伝えてきました。今日は、中国と日本の駐在記者相互派遣の経緯や両国の報道機関の交流などについてご紹介します。
1950年代、中国と日本はまだ国交正常化していないにもかかわらず、両国の報道業界では記者を交換する意欲がありました。1950年代半ばから1960年代初頭にかけ、両国は様々な機会のたびにを利用し、相手国への訪問団に記者を同行させ、報道を行っていました。また、日本の一部の報道機関が中国政府の承認を得て記者を中国に派遣し、短期の取材活動を行い、やをしたり、両国の報道業界が代表団を作ってり、相手国を訪問したこともありました。
中国と日本が1955年5月と1958年3月に調印した二つの民間貿易協定には、相手国に常駐する貿易機関の設置に関する内容が含まれていました。これを受け、両国の報道業界では、貿易を推進していく中で駐在記者の相互派遣を実現させてほしいと願う声が高まっていました。
こんな中、日本の政治化、実業家・の高碕達之助氏が政界、実業界の代表を率いた大型訪問団が1962年10月26日に中国にやってきました。中国側の国務院外事弁公室の廖承志主任をはじめ貿易や外交部門の代表と会談し、双方は「覚書」と呼ばれる貿易に関する合意文書覚書を達成しました。この「覚書」には、廖承志事務所と高碕事務所が相手国に常駐する連絡機関を設置し、このルートにより駐在記者を派遣することが盛り込まれましたています。
その後、1964年4月、廖承志事務所と高碕事務所は報道記者の相互派遣について会談しました。会談では、派遣される記者は中日8人ずつ、(のちに9人にと変更され)で、原則としては通信社、ラジオ局、テレビ局からそれぞれ必ず1人を派遣すること、駐在期間を1年とすること、駐在国が相手国の記者の安全を守ること、記者の報道や取材に便宜を提供すること、駐在記者が駐在国の外国記者管理に関する規定を順守すること、駐在記者の通信の自由を確保すること、駐在記者の派遣を同時に行うことなどで合意しました。
そして、1964年9月29日、中国から新華社通信や「人民日報」、中国新聞社、「大公報」、「光明日報」、「文匯報」、「北京日報」の記者7人が東京に着きました。同日、日本側からは共同通信、「朝日新聞」、「毎日新聞」、「読売新聞」、「日本経済新聞」、「産経新聞」、「西日本新聞」、NHK、TBSからの記者9人が北京入りしました。
これにより、中日両国の駐在記者の相互派遣が始まりました。駐在記者の相互派遣は両国の関係正常化にとって重要な一歩となり、駐在記者らは関係正常化に向けて前向きな役割を果たしたといわれています。
駐在記者の相互派遣が実現した後、中日両国の報道機関は交流を深め、相手国の情報を積極的に発信してきました。
1972年、日本の共同通信社と中国の新華社が協力関係の強化に関する覚書に調印し、両通信社専用の通信ラインを開設しました。
1974年1月、中日両国政府は北京で、駐在記者の相互派遣に関する覚書に調印し、双方は、駐在記者の相互派遣については1972年9月29日に発表した「中日共同声明」の精神に基づくと確認し合いました。これにより、駐在記者の相互派遣は制度面で固定されました確立することになりました。
また、1976年9月、中国国際放送局の前身である北京放送は蘇克彬氏を東京駐在記者として派遣しました。蘇氏は北京放送が海外に派遣した初めての駐在記者となりました。
1980年、中国の新華社は日本の時事通信社と報道協力に関する合意文書を結びました。
さらに同じ年の1980年12月2日、中国国際放送局の初めての海外支局、日本支局が東京に設置されました。、方宜氏が首席記者となりました。
1982年4月、中華全国報道関係者協会と日本新聞協会は交流強化に関する協定を締結しました。年に1回、10人からなる記者訪問団を相手国に派遣し、往復の航空券は自己負担で、食事と宿泊は互いに招待する持つことにしました。
また、1984年11月、「人民日報」と日本経済新聞の共同主催による初の中日経済シンポジウムが北京で開催されました。
そして1985年、中国国際放送局は日本の放送テレビ局テレビ山梨と協力関係を結び、日本語アナウンサーの育成やテレビ番組の共同制作、相互訪問を現在も続けています。
1995年には、第二次世界大戦終結50周年を記念し、中国記者団は「朝日新聞」の招きに応じて日本を訪問しました。当時の村山富市首相が中国記者団の書面インタビューを受けました。
また、2004年9月、中日両国の駐在記者相互派遣40周年を記念する座談会が北京で行われ、両国の第1陣の駐在記者の代表らが出席して、当時の思い出などを語り合い友好を深めましたました。
駐在記者の相互派遣が始まって50年余りが経ち、。中国の日本駐在記者は2015年7月までに累計でおよそ220人余り、一方、また、日本の中国駐在記者は2014年までの統計で約およそ500人に上っているということです。今後も、駐在記者の数が増え、マスメディアを活かした情報発信が行われていくにつれて、国民同士の相互理解がさらに深まり、両国関係もよりよいものに進められていくものとことが期待されています。
中日国交正常化45周年特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。今日は駐在記者の相互派遣や報道機関の交流などについてご紹介しました。
ギャラリー