第21回 中国で愛されるスイカ「京欣一号」~日本人農業技術者・森田欣一の置き土産

2018-04-23 11:20  CRI

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 【前書き】

今年もスイカの季節を迎えました。北京を含む中国北部で最も多く栽培され、最も早く出荷されるスイカが、「京欣一号」です。果皮が薄く、しっかりとした果肉で、糖度が高い。収穫までの期間が短い上に、単位当たりの収穫量が多く、消費者からも農家からも好まれています。

「京欣一号」は、1987年に北京市農林科学院野菜研究センターと日本人農業技術者・森田欣一氏の協力によって開発されたものです。品種名には「北京の繫栄を祈る」という意味のほかに、持てるだけの技術を伝授してくれた森田欣一氏の功績を称え、感謝する気持ちも込められています。

この記事は、CRI日本向けラジオで2017年1月から、毎週土曜日放送の「中日国交正常化45年の歩み――あの日、その時」の抜粋です。

 【本文(プロフィール)】

 森田欣一(もりた きんいち)

 スイカとメロンの研究者。

 (1916200819165月千葉県生まれ。1939年に東京農業大学農学部教育科を卒業。種苗商会などでの花卉や野菜関連の育種業務を経て、1944年千葉県「みかど株式会社」の育種担当に。のちに会長、最高顧問となる。

 1978年には、国内外から高く評価された「エリザベスメロン」の育種に成功。

 主な著書に『スイカ 作型とつくり方』(農山漁村文化協会)、『すいか フレーベルの科学えほん』など多数。

 【本文】

 時は1980年代初めに遡る。当時の中国は、78年にスタートした改革開放の成果が表れ、食糧生産に大きな伸びが見られた。衣食に困らなくなると果物へのニーズが高まり、スイカやメロンは生産を勢いよく伸ばすが、一方で、品種の退化、収穫量の減少、供給期間の短さなどの問題に悩まされてもいた。

こうした課題を乗り越え、おいしいスイカやメロンが市場に届き、農家もメリットを得られること。それが農業当局の悲願だった。

 中国思いの育種専門家

 1984年、北京市農林科学院野菜研究センターが国連開発計画(UNDP)の委託を受け、野菜栽培育種国際研修班を設置した。国連顧問として北京入りした森田欣一氏は、1979年から視察や技術指導で中国を度々訪れており、その広い学識と豊富な経験、謙虚な人柄で高い評価を得ていた。

 翌1985年、中国農業省科学技術局は森田氏を迎えて、スイカ・メロン新品種の選抜育種と栽培技術の協力研究を始める。北京、鄭州、江蘇の3か所の試験場をベースに、新品種の開発がスタートした。

 交雑育種に必要な種は、森田氏が日本から調達。当時の中国に今ほどの経済力はなく、外貨準備も豊富ではなかった(1985年時点の「一人当たりGDP」と「世界ランキング」は、中国が291ドルで第122位、対して、日本は11464ドルで世界14)。これに配慮してか、森田氏は古巣の「みかど育苗農場」から種を購入する際、市場価格の15~20%で納入されるようにし、他の育苗農場から調達する場合でも、相場の3分の1の値段で購入できるようやりくりした。このほか、生産資材や試験用計器類なども、中国の現場の事情を調査した上で、吟味してセレクトした。

 当時の中国側スタッフは、「森田さんは毎日早朝に起き、試験畑に一番乗りして、夕方は誰よりも遅くまで残っていました。そして毎週のように農村部に赴いて、農家の方の手を取って指導し、技術と経験を私心なく伝授してくれました」と回想している。

◆◆◆

 「スイカ祭り」の立役者

 北京南郊外の「スイカの里」大興県(現・大興区)厖各庄は「京欣一号」誕生の地だ。交配用の父本と母本が、地元農家・邵連発さんが所有する畑で最初に植えられた。森田氏は蔓の手入れ方法などについて、日本の栽培技術を指導しながらも、地元に一番適した方法を邵さんと一緒になって模索した。一回目の試験が見事成功し、試験栽培した畑1ムー(6.67アール)で採れた種5キロが、地元農家に全て買われていった。選抜育種の結果を速めるべく、森田氏は中国と日本の間を行き来し、みかど育苗農場でも同様の交配試験を併行して実施していた。

 このように、3年間にわたって試験を続けた結果、1987年にとうとう新品種の育成に成功した。その品種名は森田欣一氏の名前から一字をとって「京欣一号」と名付けられた。通常10年かかる育種と普及期間がわずか3年にまで短縮できたとされている。

 「京欣一号」はその優れた品質と収穫量の多さで華北地区、そして全国に広まり、一時は北京一帯のスイカ作付面積の6割以上を占めて、早熟品種の王者となった。

その育種過程の舞台となった厖各庄には、それまで数百年にわたるスイカ栽培の歴史があったが、品種の退化に悩んでいた。「京欣一号」の育成により息を吹き返したこの村は、1988年に第1回スイカ祭りを開催した。この祭りは現在も毎年開催されており、厖各庄を擁する大興地区も「スイカの里」として不動の地位を保っている。

◆◆◆

 心の中で永遠に

 森田氏の功績は中国で高く評価され、1991年に農業省から「中国農業金賞」、1992年に国家外国人専門家局から「国際協力友誼賞」、1993年には北京市大興県から「大興県名誉県民」がそれぞれ授与された。さらに1998年、江沢民国家主席が日本を公式訪問した際には、中日友好に傑出した貢献をした功労者として表彰されている。

 千葉にある森田邸を訪ねた中国側関係者の回顧録によると、森田氏にはずっと手元に大切にとどめていた品があるという。それは本帰国する前に、野菜研究センターから贈呈された手編みのじゅうたんと中国から授与された各種賞状だった。客人を招く際には、必ずこれらの品を取り出して、その由来を紹介していたそうだ。

 2008年3月10日、森田欣一氏は千葉で逝去した。享年91歳だった。亡くなる直前まで、「北京オリンピックが終わったら、古き友人に会いに中国へ行きたい。死後は中国に骨をうずめたい」とつぶやいていたと、家族は語っている。

 訃報を受け、中国スイカ・メロン専業委員会と国家野菜エンジニアリング技術センターは次のようなお悔やみの言葉を出した。

「我々の、古き日本の友人の訃報に接し、この上ない悲しい気持ちに包まれました。我々が森田先生のプロ意識に学び、仕事に励み、より多く、より良いスイカとメロンを育成していくことが、先生への何よりの供養になるかと存じます。森田欣一先生は、中国人民の心の中で永遠に生き続けます」

 なお、農業技術協力で中国を支援した日本人は、水稲専門家の藤原長作(ふじわら ちょうさく)氏、原正市(はら しょういち)氏、マルチ栽培法を紹介した石本正一(いしもと しょういち)氏らの名も中日交流史に書き記されている。

 写真キャプション:

 北京のスイカの屋台、今でも京欣一号が早熟品種の主役

 自主開発のエリザベス・メロンも森田氏により中国に伝えられた

 森田氏を紹介した中国の関連資料

 参考資料:

 《国际人才交流》 1990年第1期、『春華秋実』、“京欣一号”--中日友好合作的结晶、梦田

 《国际人才交流》2007年5月号、“京欣一号”育种人——我与日本专家森田欣一的交往,王虎

 中国热销的西瓜品种如何从日本传来,王锦思

 http://wangjinsi918.blog.sohu.com/275439265.html

 “为中国西瓜甜瓜产业作出突出贡献的外国专家--森田欣一先生”、北京市农林科学院蔬菜研究中心《中国西瓜甜瓜》编辑部,2003年11月

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10月29日放送分
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