【第2回】ピンポン外交

2017-12-20 17:12  CRI

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MC:周莉

OA:2017年1月14日(土)

 中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」

 今年は中日国交正常化45周年です。この記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局は特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」を毎週土曜日にお送りします。 2回目の今日は<ピンポン外交>をお届けします。お相手は周莉です。

 ピンポン外交とは、1971年に日本の愛知県名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権に中国が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国がアメリカなど欧米の卓球選手を自国に招待したことをはじめとする中米間を中心とした一連の外交をいいます。これにより、中米関係の緊張緩和が実現され、また中日国交正常化にもつながりました。

 ピンポン外交は、1971年の3月28日から4月7日まで日本で開催された第31回世界卓球選手権から始まりました。文化大革命以来、2回連続で参加しなかった中国の卓球チームが6年ぶりに世界の舞台に立ちました。

 当時、中国ではまだ文化大革命の真っ只中にあり、世界卓球選手権への参加が様々な国際関係に関わることが懸念されており、国内では「参加しないほうがいい」と主張する人が多い状況でした。そんな中、周恩来首相は「今回参加しなければ、今後国際的大会への参加がさらに面倒になるだろう」とし、毛沢東主席へ報告書を提出しました。毛沢東主席は参加を承認しました。

 中国選手団が北京から出発する前の壮行会で周恩来首相は、多くの国の選手団と交流するよう選手たちに求めるとともに、「外国のチームを招待することもありうる」と示唆しました。

 3月に中国チームは日本を訪れました。4月4日、会場の愛知県体育館へ向う際にアメリカのグレン・コーワン選手がバスを乗り間違えて中国選手団のバスに乗りこんだという逸話があります。中国チームのエースである荘則棟選手は、試合参加前に周恩来首相から「友好第一、試合第二」という言葉を受けたことを思い出して、自分から進んでコーワン選手と握手をし、西湖の風景が描かれていた杭州製錦織をお土産として贈りました。錦織を手に持って中国選手団のバスから降りたコーワン選手は、報道陣のカメラに収められました。この出来事はマスコミに大きく取り上げられました。

 実は、このとき、アメリカチームを中国に招待することに関する問題は、すでに国家体育委員会および外務省で討議されていましたが、「時期尚早」という見方が主流でした。4月3日、アメリカチームの中国訪問を招待しないことを旨とする報告書が周恩来首相に提出されました。この報告は、蒋介石政権を支持するアメリカチームの訪中が時宜に合わないと指摘していました。周恩来首相はそれを認可した後、毛沢東主席に提出しました。毛沢東主席は長く考えていましたが、4月6日に、渋々と同意すると署名し、報告書を外務省に戻しました。しかし、毛沢東主席は「中米関係は今重要なターニングポイントを迎えた。今、アメリカチームを招待することが、最も適切な外交方式なのかもしれない」と思ったのです。当日夜11時過ぎに、毛沢東主席は改めて熟慮した結果、前の決定を撤回し、アメリカ卓球チームの中国への招待を決めるとともに、外務省に「急ごう!そうしなければ間に合わなくなる」と催促しました。

 毛沢東主席の鶴の一声により、アメリカ卓球チームの中国への招待が実現しました。1971年4月10日、アメリカ卓球協会の関係者やコーワン選手らを含む代表団が香港を経由して北京に到着し、1949年の新中国成立以来初となるアメリカ人の中国公式訪問となりました。その後パキスタンを通じた外交交渉の結果、ヘンリー・キッシンジャー氏が内密に中国を訪問しました。1972年2月に、リチャード・ニクソン大統領が中国を訪問した際に人民大会堂で開かれたパーティーでは荘則棟が周恩来から大統領に紹介されました。ピンポン外交により中国とアメリカが国交を結ぶようになりました。さらにその後、1年の間に100カ国以上が中国と国交を結びました。

 ところで、同盟国にも隠して行われたキッシンジャー氏の訪中は日本に大きな衝撃を与えました。1972年7月6日、新しい首相に選ばれた田中角栄は国交正常化を急ぐことを明言しました。そのことを新聞で知った周恩来首相は中国外務省の担当者たちを集めて意見を求めました。そして、答えを出したのが7月9日のことでした。9日、周恩来首相は南イエメン代表団の歓迎レセプションで挨拶した際、田中角栄の発言に言及し、「歓迎に値する」と述べました。その後、中日双方の動きがあわただしくなりました。

 9月25日、田中首相は太平正芳(おおひらまさよし)外相らと北京を訪問し、戦争賠償や台湾問題などについて中国側との激論のすえ、4日後、国交正常化の中日共同声明に調印しました。国際政治の構造が変化する中で、中日国交正常化を果たしました。

 中日国交正常化45周年記念特別番組「国交正常化45年の歩み―あの日その時」。今日は第2回<ピンポン外交>をお届けしました。次回は中日国交正常化の調印についてです。どうぞお楽しみに。お相手は周莉でした。

ラジオ番組
10月29日放送分
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