会員登録

海内無双、「裘派」芸術 (七)

2009-04-01 10:04:11     cri    

 1932年の秋、北京前門外に住む丁という名の豪商は、家で年長者の誕生日のため「堂会」(お祝いのために個人の家に芸人を招いて催す演芸会)を催し、裘盛戎のいる「富連成」を招きました。その日の演目が多くて、昼間から深夜まで続き、大切りは『魚腸剣』と『刺王僚』でした。

 ここで『魚腸剣』と『刺王僚』のあらすじを紹介しましょう。『魚腸剣』と『刺王僚』、また『戦樊城』、『長亭会』、『文昭関』、『浣紗記』を加えて『鼎盛春秋』といい、主人公の名は伍子胥なので『伍子胥』ともいいます。中国の東周時代、伍奢という大臣が楚平王に直言して諫めたので、間が抜けている楚平王が大変怒って、伍奢を監禁してしまいました。そして費無極が「樊城を守っている伍尚と伍員(伍子胥)という2人の息子を呼び戻して、根こそぎにする」と献策しました。伍尚は何も考えずに上京して、結局父の伍奢と一緒に楚平王に殺されてしまいました。ここまでは第一段落の『戦樊城』です。

 楚平王は全国に伍子胥を逮捕するという手配をしたため、伍子胥は慌てて樊城から逃げ出しました。途中、友人の申包胥と出会って、伍子胥は申包胥に自分の恨みを泣きながら訴えましたが、楚平王に忠誠な申包胥は伍子胥を援助できず、見逃すだけにしました。ここまでは第二段落の『長亭会』です。

 伍子胥は「昭関」という所まで逃げてきましたが、すでに逮捕状の肖像画が貼っているので、通れなくなり、しかたなく隠遁者東皋公の家に隠れていました。7日間を経っても対策が思いつけなくて、焦りながら憂えて、なんと一晩で髪が真っ白になってしまいました。やっと東皋公がいい策をたてたため、伍子胥はここから出られました。ここまでは第三段落の『文昭関』です。

 伍子胥は大川まで走り、漁夫の助けで大川を渡って、「追いかけた兵たちに聞かれても絶対に教えないでください」と漁夫に言いつけました。漁夫は自分の潔白を証明するため、大川に身投げをして自殺しました。そして、飢えてしょうがない伍子胥はある川で紗を洗っている女の人に物乞いをし、女は自分の昼食をあげた後、潔白を証明するため、大川に身投げをしてしまいました。ここまでは第四段落の『浣紗記』です。

 伍子胥はやっと呉国まで到着して、義にかたい専諸と出会って義兄弟の契りを結びました。呉国の元皇帝の息子である姫光はもともと王位を継ぐべきでしたが、姫僚(王僚)は勢力を頼んで王位を奪いました。姫光は王位を取り戻すため、伍子胥と相談して策をたてました。魚の腹に剣を隠し、宴会の最中で姫僚の油断するすきに乗じて殺しました。これは最後の『魚腸剣』と『刺王僚』です。

 裘盛戎は今回の『魚腸剣』と『刺王僚』の主役の姫僚でした。すべての演目は順調に進んでいますが、一つのエピソードがあり、しかもこのエピソードの主人公はいうまでもなく、裘盛戎でした。(楊)  つづく

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS