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海内無双、「裘派」芸術 (四)

2009-02-18 10:08:51     cri    

 1927年、12歳の裘盛戎は父親のいいつけで、「富連成」という中国京劇史上、最も有名な「科班」(昔の京劇の俳優養成所)に入りました。

 中国京劇において「富連成」は語らねばならない存在です。今年ですでに105年の歴史があります。古来、京劇の伝授方法は大きく2つに分かれており、1つは師匠に弟子入りする方法、もう1つは家伝でした。例えば京劇の大家である程硯秋や張君秋は「通天教主」と呼ばれた王瑶卿の弟子であり、また譚鑫培や梅蘭芳は梨園の名門出身です。京劇の発展に伴って、この2つの伝授方法は規模的にも効率的にも限界がありました。そこで、清朝末、京劇の俳優を育成するための専門機関「科班」が現れました。そのうち、「富連成」は最も歴史が長く、最も多くの有名俳優を育成し、最も京劇にもたらした影響が大きい「科班」です。

 「富連成」は当時の商人、牛子厚が出資し、京劇俳優の叶春善が企画して、1904年北京に設立されました。元の名を「喜連昇」といいましたが、1912年夏、オーナーだった牛子厚が沈仁山と沈秀水にこれを譲り、「富連成」と名前を変えました。「富連成」は44年にわたり700人あまりの俳優を養成し、生徒達を「喜、連、富、盛、世、元、韵、慶」という8つの字で入った年の順に分けていました。例えば、馬派老生の創始者である馬連良は「連」の年に属し、譚派老生の創始者である譚鑫培の孫の譚富英は「富」の年、ひ孫の譚元寿は「元」の年に入りました。したがって裘盛戎は「盛」で、仲間の袁世海は「世」ということが分かります。現在生存している元「富連成」の生徒たちの話によると、当時の稽古の様子は「7年の監獄に入れられたのと同じ」ということで、厳しさはいうまでもないでしょう。「富連成」にはいるときの誓約書にはこのように書きました。

 「故がなければ、家に帰るべからず。中退するべからず・・・。天災や疾病があれば、天命をつける。」

 数十年前に公開された中国映画『覇王別姫』の中で、京劇を勉強している子供達が肉が裂けるほど鞭や棒で打たれたり、撃ち殺されたりするシーンがありました。それは実際の「科班」と比べても、勝りこそすれ劣らずで、ある「科班」の誓約書には「打ち殺したら責任なし」という条項すら書かれていたのです。同じクラスで勉強する子供たちの中で、もし1人でも過ちを犯すと、クラス全員が罰を受けます。一年中でお正月のたった3日だけ休みで実家に帰るほかは、稽古と公演を繰り返して日々を送るのです。

 こんなに厳しいところなのに、なぜ裘桂仙はお忍びで息子裘盛戎を入れたのでしょうか・・・。(楊)

(つづく)

「裘継戎:僕にとってただ信仰ではない。」

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