どこまでも続くレール、大地を駆け巡る列車、そして笑い声が響き渡る車内、そこには一人の日本人俳優の姿がありました。それが関口知宏さんです。中国大陸を初めて鉄道だけで横断した日本人俳優の関口知宏さん、彼の旅する姿をおさめた番組「中国鉄道の旅」を見て、中国の新たな魅力を発見した中国人は少なくありません。
そんな関口さんは中日国交正常化40周年の今年、日本の日中親善大使に任命されました。関口さんは、「自分が40歳になる年に日中国交正常化40周年という節目を迎え親善大使を務めるということに運命を感じている」と嬉しそうに語りました。また、中国鉄道の旅での経験や思いを、親善大使という仕事に活かしたいと話す関口さんは、青少年の交流にも注目しているそうです。
鉄道の旅で、中国各地の人たちと触れ合い、様々な思い出をつくってきた関口さん、鉄道の旅を決心した理由や旅の中で味わった本当の中国、次の目的地である中日交流への思いなどを語っていただきました。
■人懐っこさと熱烈な歓迎
――土地面積が広く、鉄道も複雑な中国、当時中国鉄道の旅を決心したのはどうしてですか?
当時世界に、日本に届く中国のニュースはあまりよろしく無いものが多かったですよね。段ボール肉まんだとかいろいろありましたよね。別にそれはニュースが嘘だと言ってるんじゃないんですけれども、国として聞く中国と、一人ひとりの国民と出会った場合の中国と、やっぱり違うと思うんですよね。それに国民一人ひとりと触れ合っていった場合の中国というのは、なかなかテレビで見れるわけじゃないんですよ。そこに中国鉄道の旅のお話が来たわけですから、それはやらなきゃいけないと、どうやったって、日中は兄弟みたいなもんで、縁を切るわけにはいかないんですから、それなのに詳しくないという状況で。ですから、中国の一面だけを見てもう分かったたつもりになるのを避けないと、先々日本にとっても大変なことになるという思いがあったんです。そこに来たのがそのお話ですから、もう「する!」みたいな感じで、決めました。
――長い中国鉄道の旅を通して、中国をどのように理解し、受けとめましたか。
まず、地理的なことを言えば、日本に比べたら、まあ本当に広い。まとめるの大変だろうと感じるぐらい、すごい広いですよね。それと、国の大きさりよも、中国の人たちの、なんていうか、人懐っこさみたいなもの、なんかすごいなと思って、熱烈歓迎の「熱烈」って本当だなと思いました。ある砂漠の中、荒野の中にぽつんとある農家のおじいさんだったかな、会ったら嬉しそうでね、初めて会ったんですよ。日本人は知ってる人に会ったら嬉しいけど、知らない人に会ったらまだわかんないじゃないですか。中国の方々って知らない人が来た時点でもう嬉しいみたいな。それで帰る時、帰ったら申し訳ないぐらいに寂しそうでね。あの人懐っこさって何だろうというのは、すごく思ってました。中国各地で同じだったんで、中国の人たちのこの人懐っこさを日本の人はもっと知ったほうがいいなと思いました。
――中国鉄道の旅を通して、感動したこと、一番印象深かったことは何でしょうか。
いい意味で日本人の思う良さと、中国の人が思う良さが違うと言うことが分かったことですよね。日本というのはどっちかというと、迷惑をかけない親切みたいなものがあります。それも御蔭様で、素晴らしいものだと思うようになりました。でも中国には歓迎し始めたら、家や家財道具までオレにくれちゃうんじゃないかって思うぐらいの人もいますよね。なんでこんなに熱烈なんですかみたいな。この違いはすごく面白いと思ったことが、本当に印象的でした。ですから日本人の迷惑を掛けないようにという親切みたいなのも、世界で余り見られないもので、また中国の人たちの家財道具をなげ打つほどの親切というのも、なかなか世界中見てもなかったものなので、旅の途中にこの日本人の良さと中国人の良さがひとつになるような何かって、どんなもんだろうとすごく期待をしました。そしてその機会が今来ちゃったみたいなことですから。「それやろう」と思ってます。
■自分のエネルギーで生きる
――日本、中国、ヨーロッパの鉄道旅行を終えたわけですけど、これまでの乗りつくしの旅は引退するとおっしゃっていましたが、その理由は何でしょうか。
僕は「引退」という言葉は使ってないんです。だから嘘を言われちゃったんですけどね。「次はもう長い旅しません」って言ったら、それは引退に等しいということで引退ってなっちゃったんです。僕が言ったのは、引退じゃなくて、「長い旅はここで一旦終了」と言ったんです。いずれにしてもなんで終了と言ったかといいますと、テレビというのは中国もどうか分かりませんが、当たる番組があったら絶対に同じような番組が増えますよね。そして当たる限りはずっと繰り返しませんか。そんなふうになってほしくなかったんです。「ただ当たるから旅してる」と言うと、本当に旅したくてしてるのか、テレビだからやってんのか分かんなくなってくるでしょ。僕は中国の旅までは、もちろんNHKさんというテレビ局からオファーが来たものではあるけれども、必ずそこに僕が旅したいと思う動機が必ずあったから行ってたんですね。だけどもう当たっちゃったから次はどこでって、なんかやらされ仕事みたいになっていってしまったらダメだし。それと中国での旅が終わった時点で、「これは先にやることがあるぞ」と。だからテレビ旅番組担当みたいになることじゃなくて、その経験を活かしてやらなければならないことが何かあるはずだと。だけど宣言をしなければ、もうそういうお話ばっかり来ちゃって、「なんかもうクタクタになりながら世界中を旅する人みたいになっちゃうな」と思ったので、一旦やめました。だけど、その結果がこれですよ。あそこでズルズルやってたら親善大使の仕事をこれやってる暇かったんないんですよ。僕があの時思ったのが、「あ~そうそう、こういうこと」というのが、その話からしても、親善大使になれた事は、非常に嬉しいです。の可能性はありますね。
――「また旅で皆さんとお会いしたい」と発言した関口さん、次の目標はどこでしょうか。新計画「ZERO~可能性の旅~」とはなんでしょうか。
もちろんあれは日本国内の旅といえば旅なんです。ただ鉄道に乗ってるとか、形なんかにこだわらない旅です。まあこの前の原発事故もそうなんですけども、外のエネルギーを使い過ぎだと思いませんか?日本人は、自分のエネルギー使ってないんですよ。発展すればそうなるわけで、いろんな機械にさせて、原発にさせて、で原発が事故が起きると、東電とか会社が悪いみたいな話になるんだけど、根本的には、発展していつの間にか自分のエネルギーを使わなくなっちゃったっていうところが、悪い点で言うと、日本の今だと思うんですね。そんな時に中国の旅をしてみると、これから発展するとどうなるか分かりませんが、まだ自分のエネルギーを使ってるんですもんね。日本人ていうのは、自分が持っているエネルギーというのは、一旦ゼロになっちゃってるから、ゼロからもう1回やらなきゃという意味で旅をしてます。この日中親善大使の仕事とは全く無関係ではないです。この日中親善大使で日本人と中国人の民間交流をする時に、自然に感じていただきたいですが、出来れば感じて欲しいなと思うことが一つあるとすると、今の日本には、「中国の人たちが自分のエネルギーを使ってる感じ」というのを感じてほしいんです。僕もエネルギーは少なかったですから。国土も10倍だけど、中国の人のエネルギーも10倍ですよね。ですからそういう意味で、ゼロからの覚悟を持たなきゃ日本人はだめだという思いで「ZEROからの旅」という名前にしたんです。
(聞き手・構成:劉睿 取材:陳博、王小燕 映像:白昊)
【プロフィール】
関口知宏(せきぐち ともひろ)
1972年7月1日 東京生まれ。立教大学経済学部経営学科卒業。
1996年大学卒業後、俳優デビュー。
2004年NHK『列島縦断 鉄道12000キロの旅 ~最長片道切符でゆく42日~』出演。
2006年NHK『「関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅」イギリス編 スペイン編 トルコ・ ギリシャ編 スイス編』に出演。
2007年NHK『「関口知宏の中国鉄道大紀行」~最長片道ルート36,000kmをゆく』に出演。
2012年日中親善大使に任命される。また、「ZERO~可能性の旅~」という新たな旅を企画中。
| ||||
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |