栗原博教授
一年に一度の中国国家科学技術奨励会が2月14日午前、北京の人民大会堂で開かれ、6つの国から8名の外国人専門家が中華人民共和国国際科学技術協力賞を受賞しました。受賞者の一人、日本の栗原博教授にインタビューしました。
栗原教授は1954年12月に中国の遼寧省で生まれ。漢方薬及び健康製品の効用に関する研究開発分野の専門家であり、中国と切っても切れない縁があります。栗原教授の母親・悦子さんは戦争時代に中国に来ました。瀋陽ラジオ放送局で日本語を教えたり、瀋陽薬科大学の外国語教育研究グループで働いたこともあります。さらに中国共産党にも加入しました。そして日本に帰国した現在も、相変わらず中日友好を促進するためにその役割を果たしています。
授賞式で賞を受け取る栗原博教授(前列の右3)
中国で生まれ、幼いときから中国に縁がある家庭で育った栗原博さんは中国に深い感情を持っていました。1980年代に家族全員が日本に戻りましたが、栗原教授と中国とのつながりは切れたことはなく、一貫して中日両国の科学技術協力の交流を推し進めることに力を注いでいました。当時の中国はまだ裕福ではありませんでしたから、栗原教授とずっと仲の良かった中国工程院の姚新生院士が日本に行くたびに、栗原教授は無償で設備、器械、試薬などを提供し、また、いつも姚院士に関連の科学研究に必要な器械や物品などを郵送しました。
劉延東国務委員、科学技術部の万鋼部長、中国科学院の白春礼院長などの指導者と
中華人民共和国国際科学技術協力賞受賞者の記念撮影
2003年、姚院士は中国の暨南大学で漢方薬および天然薬物研究所を設立し、当時日本で働いていた栗原教授に中国に来て一緒に研究をしてくれるよう要請しました。そのとき、栗原教授は49歳で、日本のある有名な世界の上位500社企業で研究開発の仕事に携わっていました。自身の研究所もあり、仕事や生活はすべて安定していました。「そのときは私は49歳で、まだまだ若くて、活力があったと思います」と栗原教授は笑いながら話しました。「当時私が働いていた日本の会社はとても実力があり、入社することも非常に難しかったので、友達や親戚はこんないい仕事を止めるのはもったいないと反対しました。でも、私の家族も全員、中国に対して深い感情を持っているし、本当に何かしたい、中国のために何か役割を果たしたい」と自分の気持ちを周囲に話しました。
こうして、こんなにも深く中国を愛している、一人の日本人が堅い意志を持って中国にやって来たのです。
栗原教授本人が中国に来ただけではなく、日本から多くの先進的な設備や器械も持参しました。また設備が整っても資金の問題がありましたが、栗原教授は日本での社会関係を通じて、一年に100万元(約1260万円)の科学研究賛助基金を募りました。中国に来てから、栗原教授はずっと漢方薬と健康製品に関する効用の研究に従事し、数多くの漢方薬の活性と効用の評価方法を作り、漢方薬の国際化を促進しました。また、栗原教授は外国の科学者を中国に招待し、学術交流し、国際協力研究を行いました。(取材:李陽、チェック:丹羽)(つづく)
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