――当時、子どもたちの野球のレベルはどうでしたか。
私は2010年7月にこの小学校に来ました。来る前には中国語はほとんどできないので、子どもたちは私の話を分からないので、最初の三ヶ月はとても悩んでいました。しかし、少しずつ中国語を勉強しているうちに、子どもたちとの交流ができるようになりました。
野球のレベルは高くないです。しかし、トレーニングを通じて、子どもたちの体の各部分の機能はだんだんうまくなり、耐久力や走るスピードなどは高められました。
日本で日本の子どもたちと試合をする様子(提供:豊岡孝章)
――豊岡さんは、中国の子供たちを日本につれていこうとするときに、多くの子どもの親たちは日本の震災の影響を心配して、子どもの日本行きを躊躇しましたね。
実は私はずっと子どもたちを日本に連れて行きたかったのです。日本の子どもたちと交流を行い、野球技術を覚えさせ、日本の野球を体験させたいと思っていました。このような思いがあってから、子供たちの日本訪問を始めました。しかし、すべての準備ができたその時、日本で巨大地震が発生しました。多くの親たちが心配し、子どもの日本行きを許しません。私は父母会を開いて、目的地の福岡県はほとんど放射線の影響がないことを子ども達の親に説明し、また、中国語で手紙を書いて、子ども達の野球チームでの様子を紹介し、なぜ日本に行くかについても詳しく説明し、親たちを一人一人説得しました。結果は19人の子どものうち、怪我をした一人を除いて、18人が行きました。
豊岡さんが中国の親たちに書いた手紙
なぜこんなことをしたかといえば、行けなくなった子どもたちは、ものすごく毎日熱心に練習をしていました。そういう子どもたちにも野球のレベルを高めさせたいです。これらの子どもたちが行かなければ、今回日本に行く意味が半減してしまいます。ですから、その行けなくなった子どもたちをどうしても行かせたいという気持ちが自分の中でずっとあって、それを諦めない気持ちで、親たちを何度も説得に行きました。本当にこの子どもたちを日本につれていきたいです。(づづく)
(取材:李陽、チェック:国清)
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