Part2 中国を見る <スクラップブックにかけた思い>
――これまで、36年間、日本の中国報道を収集しつづけてきました…
25歳の時北京を訪れ、中国がこれから凄まじく発展していくだろうと感じました。その発展していく過程を何らかの形で残しておきたいと思って、今日まで新聞のスクラップを続けてきました。
スクラップブックは年代別に番号が振ってあり、調べやすくなるよう日付も入っております。この春、中国の親友のご紹介で、中国社会科学院日本研究所に寄贈することができました。これから、中国の学者の方々の日本研究に役立ってほしい。わが子のように大事に集め続けてきた資料に、良い嫁入り先が見つかって嬉しいです。
――この間、日本メディアの中国報道で感じた一番の変化は?
1955~1973年、中国に関する報道はほとんど見当たりませんでした。それが1973年からぼつぼつ出始め、今は毎日、中国の報道がない日はないぐらいになっています。最初の1冊が埋まるには3年間もかかりましたが、いまは、1年で何冊も使ってしまいます。
こうした変化から、中国はこれからもさらにこの姿が続いて、最後にすごい大国になるであろうことを確信しています。だから、今からどう変わっていくのかを資料として残して、若い人にバトンタッチしてゆきたいです。
――全般的に、日本メディアの中国を見る目をどう評価しますか。
色々な要素があるので、一概にこうだと言えないです。ほんとにこれで良いのかなと疑問に思う記事もあります。しかし、良いことも悪いことも、こういう年にこういう報道があったという事実は本当のことです。なので、特に取捨選択したわけでなく、あるがままに記録収集することにしました。
――中国と日本は戦争を体験した国同士ではあります。
戦争は両国の人たちに苦痛をもたらしました。私たちも戦争のためにひどい思いをしたし、中国も同じ苦しい思いをしました。これからはあくまでそれを基礎にして、お互いにそういうことがないように、互いに意見を交換しあって、同じ東洋の人たちで手を組めば、もっと素晴らしい世界が開けるでしょう。それはもう目に見えています。その気持ちを次の世代の人たちに伝えていくことが念願です。
――中国の若者から受けた印象は?
中国に来る度に感じることですが、いまの中国を背負って立つ若者たちの国に対する態度、仕事に対する態度を見るにつけ、日本は大いに学ばなければならないことを痛感しています。オフィスの中で、若い人たちがいかに真剣に国を思っているのか、その雰囲気を痛切に肌に感じて、日本の人が学んでいかざるを得ないと感じました。今からもさらに深い交流をつないでいくことは私たちに課せられた責任でもあるように思います。
――交流の増進に向け、何か良い提案は?
中国と日本は、腹を割って話し合えば、解決できないことはない。互いに突っ張っているのではなく、良いことは良い、悪いことは悪いと受け入れ、分かり合えるような交流の仕方が必要です。芸能や芸術を通じて接するのが、一番身近な交流の仕方で、分かりやすいのではと思います。美しい伝統芸術を通して。中国にもこういう伝統的な芸術があるんだな、って。演劇を通じて、互いに分かり合えることがいっぱいある。これからもそういう形でつないでいけるよう祈っています。
――中国との付き合いを通して、逆に日本に伝えたいことは?
日本はやっぱり中国の良さを見て、学ばなければならないというのが今の気持ち。具体的にいうと、中国人には自主性を学ぶことです。日本人の悪いところは、自己主張や自己の生き方を持っていないこと。何か一つのことがあると、風評に惑わされて、一本芯が通っていない。「自分だったらこうする」という事に欠けています。「他人はそうかもしれないが、私はこっちが正しいと思う」、という選び方をしないと、絶えず右へ行ったり、左へ行ったりして、マスコミの風評によって動かされてしまいます。(つづく)(聞き手:王小燕)
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